2009年12月20日日曜日

2009年を振り返って ~ 今年は「変化」の年だった

今週末より、バリ島に「ヨガ修行」に出掛けるため、このBlogが今年最後のアップになりそうだ。

今年最後のBlogということで、2009年を振り返ってみたいと思う。

今年は、一言でいえば、「変化/Change」の年だった。

思い起こせば、海の向こうでは黒人初の大統領が誕生し、日本でも夏の衆議院選を経て、鳩山政権が生まれ、日米ともにそれまでの保守系政党から政権が交代した。

また、経済では、昨年末からの金融危機の影響もし、両国を代表する企業である、GMやJALといった企業が経営危機に陥り、政府支援を受けて再生スキームに取り組むという、以前では考えられない状況となった。

一方で、新旧交代が進み、デフレ経済を利用し、ユニクロブランドを引っ提げて、ファーストリテイリングが快進撃を続け、その影響は日経平均株価にも及ぶに至った。


こういった社会全般の状況と並行し、私の周囲も様々な変化があった。

こちらのブログでも紹介したが、春に引越しをした。

今回の引越しで、野球観戦、Jazz鑑賞、そして、ヨガなど週末の楽しみも増えた。

そういった周囲の環境変化と並行して、私の気持ちも大きく変化した。

年明け早々は、希望が持てず、目標らしいものを失っていたといえるだろう。

資本主義という仕組みへ信頼が持てなくなり、それが仕事や投資、そして、社会の考え方に影響を与えるなかで、Obama政権の誕生に刺激され、また、Harvard Kennedy Schoolに関する書籍に出会い、公共政策学という領域に関心を持った。

もう一度、大学院生活に戻ろうと、海外の学校への入学を目指し、半年近く時間を費やしただろうか。

ただ、そのうち、自分のなかで疑問を感じてきた。

大学院で勉強して、結局、どうする?

2年間、勉学に勤しんでも、結局は、公的機関、NGO、NPO、企業のいずれかに所属するか、または、自ら会社を起こすかして社会に戻る、という当たり前のことを思い返し、同じ時間とお金を使うなら、実際、普段の生活のなかで実践できることをやったほうが現実的ではないかという考えに至った。

そして、身近なことから始めてみようと思い、ここ2~3か月は、何かできることはないかといろいろと模索してきた。

急激な失業率の上昇もあり、雇用対策や住居支援などに関心を持ったこともあった。

でも、もっと社会的に弱い立場の人を助ける必要はないのかと思うようになり、子供好きなのもあって、子供達に何か役に立つことをしようと思い立った。

最近になってあるアクションを始めたのだが、この話は、また、別の機会にお話ししようと思う。


また、以前にも紹介したが、「坂の上の雲」がドラマ化された。

7年近く待ちわびた作品で、原作にいろんな思い出が詰まっているだけに、初回の放送では、始って30分くらいは、涙が止まらなかった。。。


決して、楽しいことばかりではなかったが、後から振り返って、あの年から変わったんだよね、と言える年になるような気がする。

拙い私のBlogであるが、最後まで、読んでくれた方に感謝!

ちょっと早いですが、皆様、良いお年をお迎えください。

K

2009年12月12日土曜日

アメリカの新しい経済トレンドに見る政治的意図と日本の課題 ~日本の「New Normal」はどうあるべきか?

秋くらいから、アメリカの経済指標と株価の推移を見ながら、やや違和感を感じていた。

10%を越える失業率など経済指標は軟調に推移する一方で、株価は堅調に上昇している。

また、為替レートも大量の通貨供給の影響などもあって、円に対してドル安が続いているが、先月末の円高を期にようやく動き出した日本政府や日銀を尻目に、アメリカ政府は至って静観しているように見える。

90年代の半ばからアメリカは「強いドルは国益」として海外からお金を集め、そのお金を使って海外に投資するなどして経済を回してきた。

国全体が、預金口座のお金でビジネスを行う、銀行のようなことをやっていたのだが、その流れが変わりつつあることを実感する。

どうもゲームのルールが変わったようだ。

「New Normal」という表現で、金融危機後の新しい経済状況を表現したのは、米国の債券運用会社PIMCOの最高経営責任者であるMohamed El-Erian氏だ。

経済は元には戻らない、という基本的な見解の下、金融業界への規制が進んで借金をして投資を行うレバレッジが規制対象となり、新興国が高成長を享受するなか、先進国は低成長に甘んじる、といったことを指摘している。

金融業界への規制により、金融経済から実体経済への回帰も示唆した内容で、ちょうど、日本時間の今朝ほど、金融規制改革法案が議会を通過した。

また、RPテック代表 倉津康行氏は、11月29日の日経ヴェリタスにて、アメリカの代表的な企業が「アメリカでリストラし、海外で収益を伸ばす」構造へと変化している点を指摘、これに加え、当局は、春の大手銀行に対するストレステストの結果、危機に瀕した銀行はない、と公表したり、会計制度の修正して証券化商品などの評価損を凍結させるなどして、金融問題の封じ込めを成功させた、としている。

そして、11月25日付NewsWeekは、「株価が国内経済の見通しを反映するという考え方自体が時代遅れになった可能性もある」とし、アメリカの大手企業が海外での事業を拡大させていることや、海外で作って、海外で売っている状況を説明している。


低金利や過剰に流動性のある金融環境の下、レバレッジによる破壊的な経済リスクをコントロールしようという試みが、いままでなかったのが不思議なくらいで、額に汗してまじめに働く人たちが不意に職を失ったり、財産を手放さざるをえなくなったりする事態は避けるべきであろう。

ただ、急回復を望む市場のプレッシャーにより、企業は収益向上に躍起となる一方で、新興国のビジネスが急速に立ち上がったために、業績が上がっても、アメリカ国内で雇用が増えない、空洞化現象が顕在化しつつあるのは問題だ。

アメリカの買収ファンド大手のKKR(Kohlberg Kravis & Roberts)のHenry Kravis氏は、一部投資先の経営者から「景気が回復しても増員しなくていい」という声を聞くという。景気悪化でやむなく人員を削減したが、経営に支障はなく、過大な従業員を抱えていたことがわかったというのだ。

いずれにしても、企業経営者にとっては明るい材料がないわけではないが、従業員にとって苦しい環境が続く、という見通しに変わりはない。

また、資金を集めるのに好循環をもたらしたドル高政策も、実体経済への回帰によって、海外での収益をドル安にすることで売上・利益を上積みするドル安政策に変わろうとしている、ということだろう。

これを裏付ける兆候は、10日にアメリカ・商務省が発表した、10月の貿易赤字額(329億3,600万ドルのマイナス)に表れており、前月比で赤字額が減少したのは6か月連続で、金額ベースでは、既に金融危機直後の2008年11月以来の高い水準に戻っているという。

これらの状況をひとつひとつ眺めると、冒頭の「違和感」といった現象は、決して説明がつかないことではないことがわかる。

言い換えると、中身のいい悪いは別にして、政府・中央銀行・経済界が連携して、経済を浮上させるべく動かそうという意思が確認できるのだ。


さて、これに比して、日本はどうか?

残念ながら、日本の動きは遅く、インパクトに欠け、首相の「友愛」精神とは裏腹に、政府・与党・日銀・経済界の足並みが揃っているようには見えない。

先月末に、唐突に発表された政府の「デフレ発言」も、私が このBlogで夏前にはデフレの長期化を指摘できたくらいだから、日銀や政府がわかっていなかったはずがない。

にもかかわらず、先月の急激な円高や「Dubai Shock」が勃発するまで、対応する政策を打ち出さず、先週になって、日銀が事実上の金融緩和策を発表するも、アナリストからは「規模が小さい」と指摘される始末。

補正予算についても、一次補正については、事業の執行スピードを犠牲に、「無駄をなくす」という前政権との違いをアピールすることを優先させた一方で、浮かせた予算を二次補正の財源にして規模も上積みさせようとしている。

無駄をなくすことには賛成だが、テレビの討論ショウのような「事業仕分け」にしても、結局、3兆円削減の目標に対して7,000億円程度の削減しか踏み込めず、予算の決定プロセスを「透明化」させる以上の意義を見出せなった。

個人的には、補正予算は前政権の内容を受け入れて、内容よりもスピードを重視し、景気浮揚、特に雇用への対策を即効あるものとし、むしろ、来年度予算の規模と内容を集中審議して、新政権のカラーを打ち出したほうが良かったと思う。

アメリカのFRBと政府、特に財務省との蜜月ぶりを見るにつけ、その中身は賛否あるにせよ、もっと、日本政府は日銀と連携して、財政と連携させた金融政策を打ち出すべきだ。

メディアで言われるマクロ政策の欠如や、国の基本戦略が見えないといった指摘は、以上のようなことが顕在化したことで、浮き彫りになるのだろう。

例えば、「日本列島改造論」といったわかりやすいキーワードで語れるほど、今の日本の課題はシンプルではないのかもしれないが、ちょうど、今、Copenhagenで暑い議論が繰り広げられている環境問題や少子化問題は、広く共感を得られやすいテーマだと思われる。

であるならば、「環境と人に優しい社会づくり」といったテーマを掲げ、政策や予算の優先順位付けを行うべきだと思うが、いかがであろうか?

日本の「New Normal」を形作るべく、さらなる政治のリーダーシップを期待したいものである。

K


債券王ビル・グロース常勝の投資哲学

2009年12月5日土曜日

JAL再建に見る日本の課題~レガシーコストにどう立ち向かうか?(4)

しばらくインターバルが空いたが、再び、この話題に戻って締め括りたい。

前回のブログでは、JAL再建に向けて、下記のモデルを用い、海外におけるLow-Cost Carrier(LCC)などの事例を用いながら、πの最大化に向けた意見をまとめた。

π=p・q-k

π: 利益
p: 価格/単価
q: 数量
k: コスト

航空業界に携われている方から見れば突飛な意見ばかりかと思うが、裏を返せば、そのくらい飛躍的なことをしないと、重くのしかかる年金という、レガシーコストはおろか、日々の運営すらもままならない、ということだと認識している。

どう解決するかは関係者の対応次第であるが、仮に公的資金活用が決まった暁には、いたずらに税金がJALという一企業の資金繰りや企業年金の原資にならないよう、願うばかりである。


さて、今回は、日本の公的年金について、このモデルを用いて考えてみたい。

まず、前提として、年金がどんな収入と支出があり、また、これまでの累積として、どの程度、ストックがあるのかを調べなければならなかったのだが、これがなかなか容易ではなかった。。。

この仕組みをどうやって数十年も維持するのか、現在、年金原資を支払う保険者として、そして、将来は、それを受け取る受給者として、不安を感じなくはない。

ただ、不安ばかりを感じていては、前に進まないので、まず、その仕組みからみていこう。


まず、かなり基本的な仕組みであるが、日本の年金制度は、現役世代の保険料負担で高齢者世代の年金給付に必要な費用を賄う、「世代間扶養」で運営されていることを確認しておきたい。

いい方を変えると、現役時代、こつこつと保険料を払っても、将来、自分が受給者になったときに、その原資を払ってくれる現役世代の保険者がいなければ、成り立たない仕組みである。

この点が、少子高齢化が急速に進行している日本で、年金制度の不安を煽る要因となっているわけだ。

テレビでよく見かける、何人の保険者で何人の受給者を賄うというような紹介をされると、日本は少子高齢化社会を迎えるので、年を経れば経るほど、保険料を支払う保険者の人数が少なくなっていく。

最も直近の厚生省のデータによれば、国民年金も厚生年金も、現在、だいたい2.6人に1人を養うようになっているらしい。


次に、収入、支出、そして積立金について。

(収入の構成)

1. 保険料収入(現役世代が支払うもの)
2. 国庫負担(国が「金庫」から負担する分)
3. 財産収入(専門の独立法人が年金運用から生みだした収入)

(支出の構成)

4. 給付金(年金受給者が受け取るもの)
5. 基礎年金拠出金(国民年金に使われるお金で、主に厚生年金と共済年金から支払われる)

この収入と支出の差額が、毎年、年金の積立金となって貯まっていく。

だから、冒頭のモデルを当てはめると、以下のようになると想定できると思う。

π= 年金の積立金
p・q= 保険料収入(=保険を支払う人 X 保険料)+国庫負担+財産収入
k=  給付金+基礎年金拠出金

年金原資が多ければ、年金支給もより安定すると解釈できるので、この設定で無理はないだろう。

今回、年金積立額の残高を調べてみたが、今年2月に試算された財政見通しでは、今年度末の積立金は144.4兆円、2050年度には544兆円を越えると書いてあり、やれやれ安心と胸をなで下したのも束の間。。。

これは、あくまで現行制度下の話で、5月に発表された厚生省の発表では、仮に給付財源について、あらかじめ蓄える「積み立て方式」に当てはめると、財源不足は現時点で500兆円になるという。

何がどうなるとそこまで差が出るのか、甚だ疑問であるが、いずれにしても、この144兆円を鵜呑みにするのも危険である。


ついでなので、厚労省が打ち出す、2050年度に500兆円を越える試算もこのモデルを用いて説明できそうだ。

まず、収入サイドについてであるが、基礎年金給付額に対する国庫負担金の割合を今年度から1/3から1/2に引き上げ(実施済み/p・q増)、保険料を現行の15.35%から2020年度には18.3%まで増やし(p増)、このデフレまっただ中な状況で、賃金上昇率を2.5%と仮定し、運用利回りの設定も4.1%へと引き上げている(p・q増)。
(ちなみにJALの年金運用利回りは、4.5%から1.5%に引き下げるべく交渉しようとしている)

一方で、支出サイドだが、経済成長率も出生率も中レベルとして、平均的な所得レベルから置き換えた比率を、2038年度以降、50.1%を保つとしているが、今年度の62.3%から10%以上削減する見込みを立てている(k減)。

また、一方で、年金の安定収入確保のために、消費税率を上げるという議論が上がったりしている。


この試算とて何もかも反対なわけではないが、すべてが「仮定通りになれば」という但し付きになるし、また、どれもこれも、中身のない財布からお金をむしり取ろうとしているようにしか見えないが、これ以外にどんな対策が打てるか?

先のモデルを用いて考えた時、これらの試算や意見で漏れていることがある。

国庫負担金、保険料、運用利回、消費税などの目的税は、いずれもpの要素に偏りすぎているように思えるのだが、qを増やす、つまり、保険料を払ってくれる人を増やす、という視点が欠けているように思えるのだ。

そういうと、必ずといっていいほど、出生率の話につながるが、子供が保険料を払うまで年数が掛かりすぎる。

そうではなく、今すぐにでも保険料を払ってくれる人、すなわち、日本に居住してくれる外国人を増やせばいいと思う。

調べてみると、日本の年金制度に国籍は関係なく、「日本国内に住所を有している」と、年金についての権利・義務が発生するそうである。

だから、外国人にとっては、保険料の支払い義務が発生する一方で、受給の権利ももらえるため、老齢年金であれば日本人と同じく25年以上の受給資格期間を満たせば年金が支給されるとのこと。

また、途中で帰国してしまうケースも考えられるが、その際、帰国する国が日本と「年金通算協定」を結んでいれば、日本で納めた保険料は母国の年金に反映されるので、掛け捨てや2重払いの心配もないそうだ。

社会保険庁のWebによれば、2007年度時点で、アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国、ベルギー 、フランスとは協定を締結済み、カナダ、オーストラリア、オランダについては、交渉中とのこと。

少なくとも、ここに上がった国の人については、もっと日本の年金をアピールすべきで、これに中国を加えれば、世界経済で主要な国の人を取り込むことも夢ではない。

そして、いささかずるいやり方かもしれないが、外国人が将来の日本永住を前提にすれば、日本の年金は世代間扶養が原則なのだから、日本人に住む外国人が支払ってくれる保険料によって、現役世代の負担は減り、引退世代の支給に賄うことも可能になるはずだ。

来てくれる外国人が若い世代であればある程、年金のみならず、所得税、住民税、消費税など税収面でもメリットが出てくるので、積極的に外国から若い人を呼んで日本で働いてもらうべきなのだ。

そうすれば、年金問題も解消されることだろうし、保険料や消費税も、今の想定程は上げなくていいかもしれない。

さらにいえば、祖国との行き来が増えれば、外国便に強みを持つJAL再生の一助になるに違いない。

ただ、いいことずくめのようだが、それには、日本が外国から人を呼べるほど、魅力的な国でなくてはいけない、という前提がつく。

これも難問だが、今なら、間に合うのではないか。

こうして、「内なるグローバル化」は日本の年金問題(JAL再生問題も?)を解決するかもしれない。

個人的には、身近に接することができる若い外国人が増えて、しかも、月々の年金負担が減る、なんてことを考えるだけでわくわくしてしまうが、皆さんはいかがであろうか?


また、グローバル化という観点では、年金運用利率は、日本の年金は、海外と比べ、かなり見劣りしている。

年金積立金管理運用独立行政法人が発表
した、今年度上期における年金向け運用実績は5.0%になったそうだが、これに対し、ノルウェーの年金基金が18.2%、カルフォルニア州職員退職金基金は16.4%、カナダの年金基金が12.0%、スウェーデンが7.1%、となっているのでかなり見劣りしている。

同法人の発表によれば、運用における株式比率の違いが結果に表れており、債券中心の日本は、より「安全重視の運用」となっているそうだが、これは上記のような、今の日本の年金の実情から考えれば、由々しき問題ではないか。

きちんと運用すれば稼げる運用利益を稼いでいないのだから、機会損失も甚だしく、しかも、安易に足りない分を保険料や給付削減に付け替えているのなら大問題で今後の改善を期待したいところだ。


「内なるグローバル化」の推進-JALと年金問題を考えるシリーズの結びの言葉として提案したい。

K

2009年11月29日日曜日

スペシャルドラマ『坂の上の雲』がいよいよスタート!

ドラマ『坂の上の雲』が今日から開始される。

本作品の原作者である司馬遼太郎氏から著作権を継承された妻の福田みどりさんからドラマ化の許諾を得て、NHKがドラマ化の発表を行ったのが2003年1月。

当初、2006年度の放送予定だったらしいが、脚本を担当されていた野沢尚さんの自殺などにより放送が延期され、今日に至ったという背景がある。

そして、発表からおおよそ7年近くの年月が経った。。。


本作品については、造詣が深い。

社会人になって数年が経ってから原作を読み、深い感銘を受け、それ以降というもの、いろいろと影響を受けた。

原作の舞台である、中国・二百三高地や広島の海軍兵学校跡を訪れたりもしたし、そして、これは偶然でだが、物語の主人公のひとりである、秋山真之氏が日本海軍の観戦武官として訪問していたアメリカ・フロリダ州タンパは、私が本格的なアメリカでの留学活動に備えるため、ホームステイをしていたところだったりする。

ちなみに、秋山真之氏は、日清・日露戦争に参戦、特に日露戦争で東郷平八郎の参謀役を務め、活躍されるわけだが、それ以前は、イギリスやアメリカに留学し、研究活動を行っていた。

秋山真之氏は、私のロールモデルの一人である、留学時、ハードな勉強にめげそうなときは、本棚に飾った秋山真之氏の写真を見て、自身を励ましたりしていた。


ただ、この作品は日本の近代の戦争史につながる舞台背景があるため、見解が分かれる作品でもある。

作者である司馬遼太郎氏ですら、「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹(こすい)しているように誤解される]」として、唯一映像化を拒んだ作品とされているし、訪問した二百三高地のガイドからは、長らく中国で原作本は発禁されていたと聞かされた。

しかも、ドラマが発表された2003年当時の政治や国際的な背景に加え、本作品をNHKが放映を企画するというあたり、政治利用という側面も感じなくはない。


しかしだ。

だからこそ、司馬氏が本作品を含め、歴史小説を仕上げた動機を忘れてはならないと思う。

司馬氏は、第二次世界大戦に参戦された経験を持つが、その時の経験を基に、そのような戦争を行う日本への疑問と、「昔の日本人はもっとましだったに違いない」という想いで執筆に取り組まれたと聞く。

そのような想いを持たれていた司馬氏がギリギリ取り組める年代はこの作品までというわけだが、見方を変えれば、本作品は、いわば、その後迎える大変な時代に対するアンチテーゼだったと推測されるわけで、決して、過去の戦争を礼讃する意図などはなかったと推測している。

小説では、その後続く、大正、昭和という時代に、軍部の、いわば暗部ともいえる部分をどう引きずるのかも考察できるので、日本の組織行動様式を知る格好の材料であり、これを「反面教師」として活かせる分野は、何も戦争に関する課題だけではないと考えている。

映像化にあたって、どの程度、そのような部分が描かれるのかはわからないが、いずれにしても、期待したい作品である。

K


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2009年11月28日土曜日

高速道路の原則無料化をどう考えるべきか?

JALと年金問題のトピックスは、もう一回、スキップさせてもらって、トピックスが陳腐化しなうちに、高速道路無料化のことをまとめてみたいと思う。

本件については、政権交代直後は、子供手当と並び、メディアでは結構な頻度で取り上げられていたが、最近、やや落ち着いてきた感がある。

結果的に、それ以上の難問があるが故に、相対的にそうなってしまっているということか。。。


今月初めに、この件を改めて考えさせられるイベントが、海の向こう側であった。

アメリカの著名投資家 Warren Buffett氏が経営する投資会社Berkshire Hathawayが、アメリカの鉄道大手Burlington Northern Santa Fe Corporationの買収を発表したのだ。

Buffett氏といえば、事業の本質的な事業価値に比べて、株価が安く放置されている会社に長期投資を行う、バリュー投資で莫大の富を築いた投資家として有名である。

ITバブルのさなかに、天井知らずな株価をつけるIT企業にはいっさい目をくれず、成熟期を迎えた企業への投資スタイルを崩さなかったので、「Old Economy」好きともいわれる。

一方で、慈善事業に熱心だったり、昨年の金融危機の際は、ゴールドマン・サックスやゼネラル・エレクトリックといったアメリカを代表する会社に対して救済ともとれるような投資も行い、アメリカの実業界の救世主的存在にもなった。

そのBuffett氏が、今度は鉄道会社に対して、過去の投資と比べても多額の投資(340億ドル≒3兆円弱)を行う。

その理由は明快だ。

「私は基本的に米国が繁栄すると信じています。今から10年後、20年後、30年後には、より多くの人がよりたくさんのモノを移動させるはずです。その時、恩恵を受けるのは鉄道です。私は米国に賭けているのです。」

海の向こうの偉大な投資家は、祖国への強い想いとともに、今後の成長の活力となる、移動手段には、鉄道が大きな役割を担うとみているのだ。


今年4月に、Barack Obama大統領は、主要都市を繋ぐ、80億ドル規模の高速鉄道の建設計画(今後5年間、毎年10億ドルずつを投資する計画)を発表。

こういった国の政策も睨んでのことだとは想像に難くないが、一方で、これだけ環境への関心が大きくなり、原油価格上昇への不安感から、公共の輸送網として、鉄道の役割が大きくなるだろうという見通しも、至極、最もなように感じられる。


国の発展に高速鉄道の役割を期待するアメリカに対して、日本はMotorizationの活性化のほうが優先順位が高いようだ。

それは、原則、高速道路料金の無料化の政策に見てとれる。

私は、この政策のブレーンは山崎養世さんという方だと睨んでいる。

山崎氏は、大和証券、ゴールドマン・サックスなど金融の世界から一転、徳島県知事を目指し、選挙に臨んだ経歴を持つ方で、当選はできなかったものの、「高速道路無料化」、「郵政資金の中小企業への活用」といった持論は、2003年11月の総選挙における、民主党のマニュフェストに採用された。

今年の総選挙での民主党のマニュフェストの「高速道路無料化」は、それ以来、脈々と残ってきたものだ。

本件に関する氏の持論を大ざっぱに説明すると、「高速道路無料化」は、東京への一極集中を改めるとともに、大都市輸送料金を引き下げ、結果的に、地方への人の流れが活性化し、地方都市の経済発展に役立つ、という構図だ。

そのヒントになっているのは、実はアメリカのフリーウェイであり、原則、「フリー」(=無料)の高速網が、中核都市の形成を後押しし、ほどよく地域経済が分散化されたのだと分析されている。


先週末に、京都を訪れた際に、のぞみ(N700系)に乗ったが、その乗り心地の快適さもさることながら、移動時間も短縮されていたことに、改めて新幹線の威力を思い知らされた。

今月は、そうした鉄道関連産業の競争力を感じさせるニュースがいくつかあった。

1)JR東海は、アメリカ、イギリス、インドなど外国の在日大使館員や鉄道業界関係者らを乗せて、米原―京都間で営業運転より速い時速330キロを出すデモ走行を行い、新幹線をアピールしたという。

中日新聞によれば、アメリカ・テキサス高速鉄道協会のロバート・エクルス会長は「(高速時も)滑らかな乗り心地だった。TGVや中国・上海のリニアにも乗ったが、高速鉄道市場で競争力があると思う」と話したという。

加えて、JR東海の葛西敬之会長は米国のコンサルティング会社と契約し、販売先候補先を調べていることを明かした。同社幹部によると、高速鉄道構想がある米・テキサス州とイリノイ州周辺が現段階で有力ということだ。


2)日立がイギリスで鉄道事業の大型受注(=総事業費1兆円)したこと、また、川崎重工業が、アメリカで路面電車を開発したことが明らかになった。

24日付の日経新聞では、モノや人の輸送手段を航空機やトラック、乗用車から鉄道や船に切り替えて、環境負荷の低減に役立てる、「モーダルシフト(Modal Shift)」というトレンドを紹介しながら、このニュースを報じた。

これらニュースを聞いて、台湾の新幹線の運用が日本の会社によってサポートされていたことや、VirginのBranson氏がVigin Trainsを始めたのは、日本の新幹線に乗ったことがきっかけだったことを思い出した。


こういったニュースに前後するように、ついに、17日に、前原大臣は、来年度予算概算要求に盛り込んだ高速道路無料化の社会実験費用6000億円について「しっかり見直していく」と述べ、今後の予算編成過程で減額があり得ることを示唆した。

「事業仕訳け」といった予算削減の流れも意識してのことだろうが、国土交通大臣の見直し発言は、重みがあるだろう。


そもそも、都市と都市を結ぶ高速交通網は、その拠点となる都市において経済活動の裏付けがない限り、活性化しようがない。

交通網がその経済活動を後押しすることはできようが、交通網自身が経済活動を活性化させることはなかなか難しい。

道路建設という手段はあるが、そういう土木事業を起点とした経済発展に見切りをつけたところに、民主党政治の意義があるのだろうから、それを今更掘り返しても仕方がない。

運送費が下げられるというメリットもあろうが、それも輸送の発端となる経済活動が停滞したままでは、十分にそのメリットを享受できないだろうし、渋滞という副作用を生みだすことも念頭に置かねばなるまい。

例えば、エコカー減税対象車のみ高速無料化として、環境対策と自動車業界へのプラス効果を図る政策変更もあり得なくはないだろうが、対象車種を限定することによって、無料化のインパクトがどこまで図れるかははなはだ疑問である。

それよりも、高速鉄道関係産業をさらに強化して、国内のみならず、海外も含めて、輸送網強化や環境改善に貢献するほうが、よっぽど、経済効果があるように思う。

こうして考えると、環境対策や現状のインフラの効率化を図る上で、高速道路無料化よりも、高速鉄道促進のほうにAdvantageがあるような気がするが、みなさんはどう思われるだろうか?

税金というかたちで我々も国に「投資」しているので、納税者という投資家として、どちらに賭けるかという視点で考えてみるのもいいかもしれない。

K

2009年11月23日月曜日

ちょっとひとやすみ ~ 京都への小旅行

今回は、いままでの話題をひとやすみしてこの休み中に行った京都のことをトピックスにしたい。

実は、私の引越し回数は、結構、多い。

しかも、親は「転勤族」ではなかったので、高校までは引越しらしい経験はなかったのだが、高校を出て以来の年数を引越し回数で割ると、1年に1回、引越しをしてきた計算になる。

なかには、1年間に3回引越したこともあったので、実際、毎年引越しはしていないのだが、3年同じところに住めば長いほうであることは確かだ。

勉学のため、転勤のためと引越しの理由は様々だが、それぞれの街で、いろいろな経験をしたので、実家以外に第2、第3のふるさとのようなところが、海外も含めて、いくつかある。

京都は間違いなくそのひとつだ。

京都は、学生時代に4年間、過ごした。

実家以外での初めての一人暮らし、それまで、勉学以外は、ほとんど野球に時間を割かれていたので、ほかの高校生に比べれば、随分、初心な状態で京都に住んだわけだ。

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(京都での初めての下宿先。まだ、ありました!)

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(この外套の下でよくバットの素振りをしてたんです...懐かしい)

実家が関西ではない私にとって、最初は、言葉はもちろん、知らないうちに軒先に上がってくるような人間関係の距離感にかなり戸惑った。

でも、ほとんど親戚や友人もいない環境からのスタートだったので、却ってそれが心地よく、直に気にならなくなった。

それと、関西のなかでも、京都特有なのではないかと思うが、「粋」という表現が似合うところである。

古くからの建物もあるので、街並みは極端に華美に凝らず、規制もあってこれでもかという高い建物はない。

でも、さりげなく、おしゃれで、それに気づくと、見入ってしまう。

それに、京都の人は、苦労をさも苦労したようには決して話さない。

「そんなこともあったなぁ」(文字でイントネーションが再現できないのが残念)をなんて、さりげなく言われるが、よくよく聞いていると、それってちょっと大変なことなんじゃない?と、振り返って思うことがよくある。

そして、何よりも、私が京都に行って良かったと思うのが、失敗しても、また、チャレンジすればいいじゃない?というスタンスを、身を持って学べたこと。

これは、周囲の人たちに恵まれたせいかもしれないが、失敗したことを責められたことがほとんど記憶にない。

むしろ、温かく応援してもらったことのほうが多いと思う。

特に、大学のクラブ活動でそんな経験をたくさんさせてもらった。


冒頭の話に戻るのだが、そのクラブのOB会なるものが、毎年、この季節に開かれるので、可能な限り、参加するようにしている。

その会は、私にとって、とても貴重な集まりだ。

年々、自分との年齢が離れていく(悲しいです…)現役部員と話せる貴重な機会で、彼らと話すと、いつの間にか彼らと同じ目線になって、年の差など忘れて話し込んでしまう。

そして、もうひとつのいいところは、今の自分のやっていることに「座標軸」を与えてくれることだ。

これは、一緒にクラブで、汗を流した先輩、同期、後輩と話すことで実感できる。

卒業後は、各々、別々の道を歩み、それぞれの生活を過ごす。

ただ、この会で、一旦、学生時代の人間関係に時間軸を戻せるので、素直に胸を張れること、まだまだ頑張らねばならぬと思うこと、そして、この部分は周りと比べてとんがっているなと思えること、などいろいろ見つめ直せる。

これは、日々の生活を共有している身近な人とは、分かち合えない感覚だ。

サラリーマンを辞め、自ら会社を作り、事業を軌道に乗せた後輩に、

「そろそろ会社を起そうと思うんだけどな」

と相談したところ、

「ちゃんと儲けが見込めてからでいいじゃないですか」

なんて諭される。

やりたいことはその後輩がやっているような、モノの売り買いじゃなくて、少し違う切り口のことなんだけどなぁ、と思っても、学生時代のその後輩との関係を振り返ると冷静になれて、むきになって説明することもなく、これ以上はこちらも軌道に乗せてから話をしよう、なんて素直に頭を切り替える。

そういう「座標軸」で自分のやっていること、やろうとしていることを見れるから、次はどういう方向で進めよう、と頭の整理が可能になる。

そんな楽しい会合を終え、一夜明けた昨日はお寺巡りをしながら、いい頭の整理ができたと思う。

また、来年、今の想いを進歩させて、話ができたらと思う。


P.S.

竜安寺にある、石庭と並ぶ、有名な一節。

吾唯足知_圧縮.jpg

「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)
I learn only to be contented.

元は仏教の教えとのことですが、「満足することを知っている人は、どのように貧しい暮らしをしていても心はとても豊かで幸せである」という意味とのこと。

なかなか考えさせられます。

DSC00108_圧縮.jpg
(竜安寺の石庭は、今、改修中)

2009年11月15日日曜日

JAL再建に見る日本の課題~レガシーコストにどう立ち向かうか?(3)

13日に発表されたJALの決算内容は、最終損益が1,312億円の赤字、本業の資金収支を表す営業キャッシュフローは400億円近い赤字、そして、手元資金は3月末に比べ4割減少、1,000億円を割り込んだという内容だった。

本業で稼げないために、「手持ち資金を取り崩して事業を続けている」(同社財務担当 金山佳正取締役)状況が浮き彫りになったといえよう。

決算前には、金融機関への債務返済を一時停止する事業再生ADR(裁判外紛争手続き)の申請、つなぎ融資を確保して事業の継続にめどをつけた。

これら一連の内容から、ナショナル・フラッグというネーミングからは程遠い「自転車操業」の姿が浮き彫りになる。


私がビジネス・スクールで戦略論を学んでいた頃、事業運営の原則として、教授から口酸っぱく叩き込まれたフレームワークがある。

π=p・q-k

π: 利益
p: 価格/単価
q: 数量
k: コスト

となるが、何のことはない、利益はどのように生み出されるかということで、

1) 価格/単価を上げる
2) 販売量を増やす
3) コストを減らす

という3つが重要だということだ。

これに現金の受け取りと支払いを表す資金繰りを反映させれば、さらに完成度が上がり、資金調達のためのコスト(利息や配当など。専門用語で「資本コスト」という)を上回る利益(=π)を出せれば、利益率は低くても事業は継続できるというものだ。

昨年の金融危機でパニックになったのは、実際の現場では、お金を調達する際、信用という要素が重要で、その信用の基準が崩れてしまったために、事業会社はおろか、お金の出してくれるはずの銀行間ですら、お金が回らなくなり、その混乱ぶりたるや、一時的に社債などの債券利回りが配当利回以上になるという、普通では考えられない状況に陥ったわけだ。

やや脱線したが、考え方をシンプルにするために、冒頭のフレームワークで今回のJAL問題を捉えてみたい。

なお、JALの年金問題について、年金を受け取る側の権利面から法律の観点から捉えるのは、他のブログやその道の専門家に譲りたい。

企業年金の受給権は私的財産権であり、受給者の権利保護の観点から本件を捉え、NTTやりそなホールディングスなどのケースを引き合いにして語るのもいいが、そもそも支払原資がなければ成立しないでしょう、という意識のほうが強いためだ。

話を元に戻すが、今回の年金原資はコストに含まれる。

これまでの約束どおりの年金を支払い続ければ、コストが上昇、利益が少なくなり、いまのJALの体力(=現金の保有額、もしくは調達能力)からいえば会社が存続できない。

そうなれば、今後の年金の支払いの見通しがつかなくなる。

よって、年金支払減額ということが言われるのだが、もうひとつの手段としては、年金を含む債務を切り離す、ということが選択肢もあるのかもしれない。

これは、現在のJRが民営化した際に、国鉄の債務を切り離し際にとられた措置で、現在、国鉄清算事業本部がその清算業務を引き継いでいるそうだが、年金が含まれる将来費用については、3兆円を国鉄清算事業本部、厚生年金移換金など7,000億円をJRがこれまでの負担分とは別に返済し、その残りは債務免除となったとのこと。

ただ、同様の債務切り離し、一部債務免除という処置ができるのかというと、今、議論されている内容では、JALへの税金投入が精いっぱい(しかも、その際、年金は減額が条件)なのでかなり難しい。

そうなると、年金原資の利益を増やすには、売上を伸ばすか、その他コストを大幅に削減するということになる。

ただ、これが容易に実現されるのであれば、これまでの苦闘もないはずで、少し発想を転換しなければならないのではないか。

売上のpとqを伸ばし、コストのkを減らす手法としては、海外のLow-Cost Carrier(LCC)とよばれる、格安航空会社の事業手法は参考になることが多いと思われる。

そのひとつが低コスト化を実現したうえでの地方航空の活用である。

ここでは、アイルランドのライアンエアが参考になる。

同社の徹底したコスト削減効果により、都市から離れた空港へのアクセスコストを上回る圧倒的な低運賃を設定することで、見放されていた地方空港へ旅客増が見込め‘Ryanair effect’を生み出しているという。

この結果、地方空港への交渉力が増すために、空港使用料も低く抑えられ、さらにコストが減るというポジティブなスパイラルを生んでいるそうだ。

見方を変えれば、不採算路線というのはあくまでも現在のコスト構造だから、という前提つきなので、現在の「不採算路線」も考え直す必要もあるかもしれない。

また、Virgin GroupのVirgin Blue参入の対抗手段として、カンタス航空は、JetStarというLCCを設立、成功事例になっているとも聞く。

いずれもコストを減らさねば成り立たない手法のため、間接人員の多いJALにとって高いハードルだと思うが、雇用といった組織制度面の折り合いをつけながら、携帯電話や電子マネーのさらなる活用による販売コスト削減といった生産性を上げるための施策を考え出さねばならないだろう。

以上のようなπの向上を目指す過程では年金支給額の減額も受け入れて再建をめざし、業績が向上した暁には、また、支給額の水準を検討するのが妥当ではないか。

こうした姿勢が、現役社員と引退されたOB・OGが連帯して取り組むということだと思うが、皆さんはどう感じられるだろうか。

次回は、このフレームを国の年金のほうにあてはめてみたいと思う。

K

2009年11月8日日曜日

JAL再建に見る日本の課題~レガシーコストにどう立ち向かうか?(2)

先週のBlogでは、昨今、取り沙汰されている日本航空の再建問題について触れ、その問題の本質が事業運営以上に年金負担にあること、そして、収入と負債のバランスが取れていない状況を日本の財務構造となぞらえることができるということを指摘した。

先週からのこのトピックスだが、JAL単体の問題を掘り下げるというよりは、JALが抱える事業構造が日本の予算・財務状況と酷似していることを踏まえ、同様の状況が起こったとき、もっと直接的にいえば、公的年金が危機に直面した時に、政府はどう対応するのかということを確認することに焦点を当てたいと思う。

JALは公開企業であるので、国の運営と性質として異なるのは十分に承知のうえであるが、ことここに及んで、事実上、JALが国の管理下に置かれていることは、つなぎ融資への対応、そして、6つの省庁と内閣府が絡む対策本部が発足されていることから明白だろう。

すなわち、JALの本質的な課題であるレガシーコストへの政府対応は、将来の日本のレガシーコスト(=年金)への布石と見てもいいだろう。

以上の前提で、先週の動きをおさらいすると…

・国内外16路線の運航を廃止: 12月から来年6月にかけて、グループの国内線8路線、国際線8路線の計16路線を廃止し、神戸やメキシコ、中国・杭州など5空港から撤退。企業再生支援機構に支援を要請中の日航は、公的支援を受ける見通しで、不採算路線からの撤退を加速させていく。

・冬の賞与カット: 全8労働組合に対して冬の一時金を全額カットする方針を伝えた。

・つなぎ融資への対応: 政府の日航再建対策本部は日航に融資をしている主要銀行に対し、日航支援に必要なつなぎ融資を要請。政府側が求めたつなぎ融資額は1千億円超。主力銀行のうち日本政策投資銀行やみずほコーポレート銀行は、政府が日航の企業年金削減や、日航が活用を申請した企業再生支援機構による支援決定の迅速化などを政府が確約することを条件につなぎ融資に前向きな姿勢を示す。

・年金減、特別立法で通常国会に提出: 日本航空の再建をめぐり、国土交通省は企業年金の支給額を強制的に減額できるようにする特別立法を目指す方針を固めた。来週開かれる政府の日本航空再建対策本部で提案し、合意を得られれば、10年の通常国会に法案を提。


事実上、現在のJALは、年金による負債総額が膨らみ、事業で賄う収入や資産売却で補えない債務超過であると予測される。

事業運営のセオリーでは、事業を続けられる条件は、資本を調達するコストを上回る収入が得られることとされている。

このセオリーを分解すると、収入を増やす、コストを減らす、安くお金を得られるところを探す、そして、(資産がある場合は)売れる資産は売る、となるわけだが、前項の先週のトピックスの前者2つは収入とコストに関するP/Lの話、後半2つは、お金の流れを示すキャッシュフローと資産と負債を表すB/Sの話だ。

そして、今回のJALの問題を改めて繰り返すと、本質的にはP/Lの問題ではなく、B/S側の問題なのである。

先週のBlogで述べた「ざるに水を通す」とはこのことで、いくら事業運営でお金を稼いでも(2006~2008年度決算で一番良くて170億円の黒字、ほか2年は赤字決算)、年金積立の不足分(3,000億円規模)で黒字が消えてしまう事業構造となっていることが問題なのだ。

前原国交相が「もしも年金などのレガシーコストがカットされなければ、会社の存続も厳しいものになる」と述べたと報道されたが、これは何も大げさなことではなく、最も端的にJALの事業構造の問題を指摘していることになる。

だから、JALの本質的な課題である年金問題に切り込むべく、国土交通省は企業年金の支給額を強制的に減額できる特別立法を目指す方針を固めたわけだ。

これに対し、JALのOBが反対の意向を示しているとのことで、記者会見をされたあるOBの方は「提訴も辞さず」と発言、また、JALのOB有志でつくる「JAL企業年金の改定について考える会」が退職者に対し、ウェブサイトで「減額反対」の署名を募ったところ、対象者約9千人中4割を超える3,740人分の署名が集まったという。

この反応に対しては、関係者の方には、大変、不遜な発言と受け取られるかもしれないが、一過言ある。

先の事業構造の問題点などを踏まえ、同会のOB諸氏にお伝えしたいのは、一体誰がこんな事業構造にしたのか?ということだ。

現役社員が自分たちの実入りを削ってまで再建に奔走せざるを得ない状況に追い込み、さらには政府が関与しなければ運転資金が得られず、公的資金の投入の可能性すら必要な会社にしたのは誰の責任なのだろう?

景気後退の影響で、財政状況が厳しいなか、国に対して資金のねん出を迫らざるを得なくなってもなお、OB諸氏が反対の意向を示し続け、果ては訴訟など起こせば、国民全体に背を向けることを覚悟せねばなるまい。


話が長くなってきたので、そろそろ今回の話をまとめたいが、これらの話から得られる教訓は2つ。

1.最悪の事態になったら、国は法律を変えてまでも年金支給を強制的に減額する処置をとる。

2.「最悪の事態」になってから国にその処置の不正を訴えても後の祭り。その事態を作り出す責任は、一部の責任者や役人にあるのではなく、その恩恵や負担の最終責任を負う我々一人一人にある。

環境が変わり、これまでのルールが通用しないかもしれない状況では、現行制度を前提に将来の負担や受益を考えてもあまり意味がない。

どうせ制度を変えるなら、いい方向のほうがいいし、制度変更といったことに踏み込まなくても、個人でできることはあるはず。

国や企業といった組織以上に個人が意味を持つ可能性、そして、昨今、ややもすると金融危機でネガティブに捉えられがちなGlobalizationの動きも味方になってくれるかもしれない。

そんなことも考えながら、次回、今後のアプローチを考えていきたい。

K

2009年11月1日日曜日

JAL再建に見る日本の課題~レガシーコストにどう立ち向かうか?(1)

先週のBlogで政府の予算編成に関して触れたが、その後、国会も始まり、この予算問題について活発にやりとりされている様子がメディアでも取り上げられた。

ほぼタイミングを一にして、JAL再建問題について、10月29日、経営再建を検討してきた専門家チーム「JAL再生タスクフォース」より報告書が提示され、容易ならざる再生への筋道の一部が明らかになった。

前原大臣は、「タスクフォースの案を公表することは意味がない」として、報告書の中身を公表しなかったが、毎日新聞が報じた、JALの再建案骨子は、次のとおり。

◆タスクフォースの日航再建案骨子◆

・企業再生支援機構の活用

・公的資金投入を含めた資本増強(3000億円)

・金融機関の融資

・金融機関による債権放棄(2200億円)と債務の株式化(300億円)

・9000人の人員削減

・45路線を廃止

・企業年金の給付水準の切り下げ


拡張しすぎた路線や余剰人員なども問題であろうが、これは「ナショナル・フラッグ」としての役割を担ってきた代償といえる。また、日本エアシステムとの合併もあったので、事業規模の面では、ANAと比べると大きくなってしまった一方で、組織統合といった側面も含めた資産効率を高める努力が必要だったことも想像に難くないだろう。

最大で8,000億円の債務超過になる見通しや、11月末にも資金ショートする公算が大きいなどが報道されているが、ただ一連の内容をみて思うのは、同社の課題の本質は、事業運営そのものではなく、同社が抱える企業年金負担の重さではないかという印象を受ける。

よくレガシーコストなどといわれ、GM再建報道などを巡って、盛んにとりあげられてきた表現だが、レガシーコストとは、「過去のしがらみから生じる負担(いわゆる負の遺産)のことである。狭義には、企業等が退職者に対して支払い続ける必要のある年金、保険等といった金銭的負担を指して言うことが多い」(出典元:Wiki)

事業規模が大きい分、「古き良き」時代を過ごした退職者も多い分、退職者への年金支払いも膨大となる。

毎日新聞の報道を引用して、JALの年金債務のポイントをまとめようと以下のようになる。

・今年3月末時点で退職金と年金の合計額(退職給付債務)は8,009億円。

・年金資産は4,083億円しかなく、引当金などを除くと3,314億円が積み立て不足。

・運用利率が年4.5%と現在の金利水準よりかなり高く設定されているため、積み立て不足は事実上の「有利子負債」で、経営の大きな負担。

・専門家チーム「タスクフォース」は運用利率を1.5%程度に大幅に引き下げる案をまとめたが、実施には現役社員(約1万7,000人)とOB(約9,000人)の各3分の2以上の同意が必要、承認されれば積み立て不足を約1,000億円に圧縮できると見込む。

つまり、JALの「金庫」には引退したOB諸氏に支払うべき年金の半分くらいしかなく、約束している利率が高いことが輪を掛けて負担を重くしているので、現役社員がいくら経費節減や営業努力に取り組んでも、ざるに水を通すが如く、債務圧縮の効果がない構図になっているのだ。

でも、この話、どこかで聞いたことがないだろうか?

そう、先週、Blogで取り上げた政府予算の構図と似ている。

概算要求の4割を占める厚生労働省の予算だけで税収に匹敵してしまうので、その他の国として運用する予算は、国債などの借金で賄わねばならないという構造と一緒である。

国として会社として、両者に共通する根本的な問題は、既に引退した世代への負担、すなわちレガシーコストにあるといえるのではないか。

レガシーコストの悪化が招く結果として、海の向こうでは、GMが民事再生法を申請、同社の資産を切り売りするなどして再建を目指している。

また、JALの再生スキームも経営破たんこそさせないものの、政府管理下に置き、経営陣の退陣を図ったうえで、債権放棄の要請やつなぎ融資、人員削減、そして、企業年金の利率引き下げに取り組むと報道されているので、事実上、経営破たん後の民事再生プロセスと同様といえなくもない。

それでは、日本はどうすればいいのだろうか?

次回、この続きに触れてみたいと思う。

K

2009年10月25日日曜日

今、民主党政権に必要なもの

私は、民主党政権になってから、ちょっと気にかけていたことがあった。

前にブログでも触れたのだが、鳩山政権が予算決めをどうするのかにとても興味があった。

私の読みでは、今年度は福祉でも公共工事でも予算をバラまいてとにかく景気回復を早める一方で、来年度の予算で民主党の色を強く打ち出すものと考えていた。

来年度予算について大ざっぱにいえば、今年度のバラまきで生じる「貯金」も利用しつつ、緊縮型にして短期的な景気回復を犠牲にして国の借金を減らす方向を目指すか、または、景気浮揚を目指して大幅に支出を増やすか(→歳入の増加が見込めない現状では、後者は国の借金を増やすことに他ならない)の2つの選択肢があると思うが、どちらを選択するかで民主党政権の方向性が理解できると思っていたのだ。

ここ最近のニュースで、来年度予算の概要がメディアを通じて伝わってきたので、自分の読みに対して、現実的にどうなっているのか検証してみた。

BGT

結論から言うと、現段階では、私の予測は最初から見込み違いであったようだ。

というのも、そもそも今年度の補正予算からして緊縮型でバラまきではないのである。

自民党政権が決めた補正予算を、結果的に3兆円減らすことを決めた。

国土交通省の並々ならぬ予算削減作業が報道されたのは記憶に新しいと思う。

これにより、今年度補正予算は10.8兆円になり、当初の規模から2割以上カットされた。

そして、来年度予算だが、今年度の補正予算を除いた当初予算は各省の要求を積み上げると95兆円規模になり、今年度予算を組んだ自民党政権より6.5兆円も多くなる。

数字だけみると、歳出増加による景気浮揚を目指すように思えるが、行政刷新担当相の仙石さんが92兆円、財務相の藤井さんは90兆円まで減らしたいと言っており、その言葉から、少なくとも両氏は来年度の予算編成については、借金を減らす緊縮型財政を目指していると伺える。

ここから見出せるのは、基本的に民主党の政策は景気の先行きとそれに伴う雇用創出にプライオリティは置かず、借金を減らす予算緊縮を目指しているものの、マニュフェストで掲げた子ども手当(10年度 2.3兆円)などの福祉政策の実現を目指す結果、予算規模は増大し、借金も増えてしまうという構図である。

よって、よく言われる、施策実施に向けた財源の確保と景気の二番底への配慮が見えない。

環境問題と高速道路無料化への対応が矛盾するという指摘がよく言われるが、ひとことでいうと全体としてチグハグなのだ。

同じ国債を切るなら、景気が落ち込み、失業率の高い今、すなわち、今年度の補正予算のほうが来年度予算より、社会的課題と景気浮揚の両面で効果的だろうと思う。

経済の側面から考えれば、そもそも職を得て消費が活発にならない限り、景気も良くならないので、企業の業績も上がらない、また、税金の面から捉えると、経済活動が活発にならない限り、所得税、消費税、法人税のいずれも増えないので、借金依存が長引く構図となる。

国債を打つなら今年度の補正でドン打つ、という真意は、こういうことで、早く手を打つほうがいいのだろうと思うし、(あまりこういうこうとは言いたくないが)世論も味方にしやすいだろうから、来年の参議院選にもいい影響が出るはずなのだ。

先週、管直人副総理・国家戦略担当相が「予算の在り方に関する検討会」を開催、有識者を集めた結果、「中長期的な財政規律の在り方」を明確にしたうえで、3年間という中期スパンで歳入見込みと歳出削減を一体で示す、複数年度予算の導入が検討されたが、結果的に23日の閣議決定における予算改革の方針からはこのプランも先送りされたそうだ。

このエピソードから、予算編成の見通しを現時点では明確にしたくないという政権の意思表示とも受け取れるし、そこまでのコンセンサスが民主党内、そして、連立を組んだほか2党との間でとられていない証左であるかもしれない。

この予算編成について、極めて単純に、かつ、厳しい言い方をすれば、実入りを増やすことも考えないで、受け取るお金以上のお金を使うことばかりを考えているようなものだ。

ここで予算面でも社会政策面でも非常に存在感を示す省庁がある。

メディアは、八ツ場ダムやJAL、高速道路無料化などで国土交通省にスポットをあてるが、実は、その存在感は厚生労働省の比ではない。

何しろ、概算要求額の4割近くの予算(これはほぼ来年度の税収に匹敵する額です)を提示し、子ども手当も管轄しつつ、年金問題への取り組みや新型インフルエンザの対応も迫られる。

高齢化社会を迎えたことで構造的に重責を担わざるを得ないのだが、民主党政権になったことで、さらにそのプレゼンスが増したといえよう。

ミスター年金こと長妻大臣の手綱さばきに期待したいところだが、一方で早くも大臣間の予算折衝では「長妻包囲網」が始まっていると聞く。

そういった姿勢が厚労省から冷やかに受け止められると、今後の活動にも悪影響が出てくるだろう。

こういった一連の民主党政権の運営を見るにつけ、発足した当初の安倍政権の様子が思い起こされるのは私だけだろうか。

フレッシュな顔ぶれで小泉構造改革路線を引き継ぐと期待されたものの、結果的に自民党内部の守旧派に取り崩される一方、郵政民営化反対議員の自民党復党問題や閣僚人事で世論からも袋叩きにあい、禅譲を余儀なくされた。

やはり、政治においては、崩してはいけないことをしっかりと堅持しつつ、その実施のために、したたかに策を打つことも必要だろうと思う。

今、民主党に必要なのは、政策の軸が何でそれを何で支えるかという政策のプライオリティ付けなのかもしれない。

K

2009年10月17日土曜日

社会貢献活動とシニア層の存在感

まだ、私が経営学の勉強をしていた頃、気になる女性Jazzミュージシャンがいた。

それはヴァイオリン奏者の寺井尚子さんで、演奏の実力もさることながら、ルックスの良さに加え、情熱的な演奏はこれまでにないもので、当時、私が読んだ新聞記事は、今までにない新しいジャンルを切り拓く期待の新星、と紹介していたように記憶している。

勉強を終え、会社勤めに復活したら、いつかコンサートに行こうと思いながら、この数年、なかなかそれが実現しなかったのだが、今週、その機会が突如、訪れた。

先週のJazzイベントのさなか、会場のポスターで近くのホールでコンサートが催されるのを知ったわけだが、平日開催だったために行けないことも考えられ、あまり意識しないように過ごしてきた。

だが、コンサート当日となる昨日金曜日、仕事が早く切り上げられそう期待がもてた時点で、早速、空き状況を確認するため、電話をしてみた。

「はい、いのちの電話 事務局でございます」

ん?

この一週間というもの、仕事のことを気にしつつ、チケットが手に入るか否かは私にとって相当な懸案事項だったが、いのちに関わるほど深刻ではない。

間違い電話??

「あの~、本日の寺井尚子のコンサートのことでお電話したのですが・・・」

「ご連絡、ありがとうございます。このお電話で承ります」

あれっ?この電話でよかった??

手元の資料を見てわかったのだが、今回のコンサートは、いのちの電話が企画したコンサートだったのだ。

電話で当日券に余裕があることを確認し、早々に仕事を切り上げて会場に向かったわけだが、会場に着いてさらに驚いた。

先週の市を上げてのJazzイベントや日頃出掛けるJazzバーとは明らかに異なるシニアの方々で、会場がごった返していたからである。

会場のホールは、おじさま、おばさま方でほぼ満員、入口の付近で催されていたバザーにもシニアの方々がたくさんいらっしゃった。

おそらく、寺井さんのコンサートを通じて、いのちの電話の活動を広く知っていただくとともに、同時に催されるバザーや寄付などで活動資金を集めるのが目的なのだろう。

まさしく寺井尚子さんにつられてきた私のような新参者は格好のターゲットだったわけだが、来場者の多くはいのちの電話の活動を支援している方と思われ、会場ではその熱気に押されるようだった。

寺井さんのライブは予想に違わず、素晴らしく、そのヴァイオリンの音色にすっかり魅了されてしまったが、純粋な音楽好きが集う会場とは、また、違う雰囲気に触れて、こういう社会的な支援の仕方もあるんだなと実感した次第である。

家に帰って調べたところ、いのちの電話のボランティアスタッフも高齢化が進み、これまで続けてきた24時間対応ができない地域もでてきたようなので、今回のような活動によって、少しでも、いのちの電話に助けを求める人たちや運営側に回っているスタッフへの理解が高まり、社会的に後押しできる機運が拡がればいいと思う。

それにしても、その主役の一端を担っているのが、その会場にいらっしゃったシニアの方々かと思うと、「世代間格差」などと軽はずみに、シニアの方々に対してやや刺激の強い主張をしてきた自分が恥ずかしくなってしまった。

一方で、私も含め、もっと若い世代が後押ししてもいいんだろうとも思う。

前回紹介した、Virgin GroupのRichard Branson氏の本(
僕たちに不可能はない)によれば、Virgin Groupはチャリティー活動として、いのちの電話と同じような活動をVirgin Uniteというプログラムで行っているとのこと。

しかも、この取り組みはVirginが大きくなってから始めたものではなく、Virginの初期の事業のひとつである、「Student」という雑誌を発行していたときから行ってきたものだという。

社会貢献活動において先駆けた取り組みの多いイギリスならではの話だと思うが(いのちの電話ももともとはイギリスの活動にヒントを得たものとのこと)、近年、うつ病を発症する方や自殺者が増加している日本でも、もっと社会的なインパクトを持てるように、活動に厚みが出てくることを期待する。

個々人の活動に対する支援の気持ちが重要なのは疑いようもないが、今回のような著名なアーティストやVirginのような世界的な企業の協力を仰ぐような、広報的なアプローチも必要だろうと思う。

これはマーケティング活動と同じような考え方だと思うのだが、認知もなく、関心も持たれないことにサポーターの協力は得られない。

そう思うと、対象がなんであれ、自分の得意な分野で社会に役立つことができるのではないか思えるわけである。

楽器がまともに演奏できない自分には音楽で社会貢献はできないだろうが、自分の好きなことや強みと思えることで何か役立つことができるかもしれない。

そういう想いに至ったことで、今回のコンサートはいいきっかけを与えてくれたと思うと同時に、自分に何ができるのか真摯に考えなければならないという想いが強くなった次第である。


K



P.S.

本当は、今日、参加したイベントで実感した、シニアの方々によるもうひとつの社会貢献活動を紹介したかったのだが、やや長くなったので、また、機会があったら、紹介したいと思う。

2009年10月11日日曜日

経済発展と環境にやさしい社会の実現 ~『Gaia Capitalism』

私の住むこの街では、昨日と本日、年に一度の大イベントが開かれ、大いに賑わっている。

「Jazz Promenada2009」と題される、そのイベントは、日本からはもちろん、海外からもJazzミュージシャンが集い、それこそ、一日中、市内の各ホール・イベント会場で何かしらJazzの演奏が楽しめる。

ここ最近、Jazzライブに足しげく通う私にとって、(今の若い人の表現を借りれば)「やばい」イベントなのである。

昨日は、今月から始めたヨガのレッスンで精神と肉体を「清めた」後、その足で会場に向かい、ほぼ半日、いろんな場所でそれこそJazzで「お腹がいっぱい」になるような気分が味わえた。

ヴィブラフォンとピアノのデュオから始まり、ブラジル出身のアーティトが奏でるサンバのリズム、アメリカからの参加したピアニストがリードする伝統派Jazz、そして、日本のJazzの重鎮が集ったオールスターセッションなどを満喫、本当に素晴らしい演奏ばかりだった。

なかでも、最後のセッションのSaxの音色はとても「艶やか」に感じ、会場を出るころはうっとりしてしまった。

やはり、たまにはこういう右脳の刺激は貴重である。


さて、本日の本題。

昨今の「ホットな」課題の一つに環境問題がある。

鳩山総理の国連の演説で、温暖化ガスを2020年までに1990年比で25%削減する中期目標を表明したのは記憶に新しい。

読売新聞によれば、国民の7割以上がこの表明に賛成の意向を示したというが、これに対し、産業界の反応はやや冷やかだ。

いまのところ、7日に経済同友会が賛同の意を表明した以外、反対と慎重な姿勢を表明するほうが多い。

こちらの以前のBlogでもお伝えしたが、この課題について話す経団連の御手洗会長の表情はとても堅く、バブル後に日本経済をけん引してきた会社のトップとは思えないほどだ。

この背後には、温暖化ガス削減の取り組みが企業に大きな負担がある。

特に日本は輸出主導の製造業がけん引する産業構造なので、工場などで排出される温暖化ガスの取り扱いは、極めてSensitiveな課題と言わざるを得ない。

しかし、だからこそ、前向きに取り組む価値があるという見方もあるはずで、その辺は先の経済同友会の会長 桜井氏が会長を務めるリコーや、2日の会見でハイブリッド車の供給などを通じて積極的に温暖化ガス削減に取り組むことを表明したトヨタ自動車などの姿勢をみると、明るい材料もあるのも確かだ。

確かに、当初、企業側は大きな負担を強いられるのだろうが、その取り組みは最終的には環境意識の高い消費者から支持されるはずだ。

また、CSRの観点で投資先を選別する投資ファンドもこれまでになく、増えてきているので、投資家からの支持もほぼ間違いないだろう。

だから、もっと地球温暖化に積極的に賛同の意を示す企業、及び経営者が出しきて欲しいと強く思っているのだが、世界には既にトップ自らが旗を振って積極的に取り組んでいる会社もある。

メディアや航空会社、鉄道など参加に幅広い事業を持つ、Virgin Groupはひとつのベンチマークになるだろう。

今、そのVirginを率いるトップ Richard Branson氏の著書「
僕たちに不可能はない」を読んでいるが、その本では、Branson氏が提唱している『Gaia Capitalism』というコンセプトが紹介されている。

一言でいえば、自社の事業の発展と環境問題を両立させようというコンセプトなのだが、2006年にAl Gore氏のプレゼンで環境問題に「目覚めた」Branson氏が、自社グループで何ができるか検討を重ねて打ち出したひとつの方向性である。

本のなかでは、Branson氏は以下のように述べている。

「この名前(=Gaia Capitalism)の下にベンチャー・キャピタル的ビジネス手法によって、今後10年間、Virginが正々堂々お金を稼ぎながら世の中に本当の変化をもたらすと信じている」

航空事業などを傘下に収めるVirginにとっても、少なからず、負担を強いられる課題であるはずなのだが、Branson氏の想いは相当なものだ。

なんでも、2004年から2006年の間にVirginが支払う航空燃料は5億ドル(当時のレートで約520億円)も上昇していたそうで、そういったコスト要因の解決という意味合いもあるようだ。

例えば、航空滑走路において一部飛行機を特殊車両でけん引することで燃料代を削減する案や代替エネルギーの研究なども提唱している。

結果的に具体策としては、温暖化問題の解決につながるアイディアに賞金を出すような、先にコメントにもあるベンチャー・ファンドの創設に結びついた。

様々な具体策のひとつひとつについての是非はあるだろうが、最も大事なことは、企業が、特にそのトップ自らが環境問題の重要性を理解し、Sustainableな社会の実現に向けて取り組むことである。

引退を目前に、花道を飾りたいトップでは無理かなぁとは思いつつも、先のBranson氏も来年は還暦を迎える(イギリスにはそういう考え方はない?)。

その氏がここまで情熱を燃やすのだから、年齢は関係ないはずだ。

要は、課題に取り組む意思(Intent)と、状況変化に応じてプライオリティを置き換えられる柔軟さ(Flexibility)である。

早く産業界版「鳩山イニシアティブ」を打ち出す気概に満ちた日本の経営者が出てきてほしいものである。

K

2009年10月4日日曜日

会社の「年齢」とこれからの産業トレンド

未だ暑さを感じるものの、朝や晩は涼しくなり、季節の変わり目を感じる。

なお、昨日は中秋の名月とのことで、非常に綺麗な月が見られる夜だった。

そんななか、最近、週末は恒例になってきているJazzの鑑賞も、一風変わったところがいいと思い、昔の外国人邸宅の洋館で行われたコンサートに行ってきた。

その名も「酒と薔薇の日々 第一夜」。

会場となったベーリック・ホール(The Berrick Hall)という洋館は、以前のイギリス人貿易商 B.R.べリックの邸宅として建設されたもので、現在、横浜市認定歴史的建造物になっており、普段は、一般にも公開されている。

そのリビング・ルームでコンサートが開かれたのだが、まず、入口となっている門扉からの眺める、ライトアップされた建物自体が幻想的で、入った瞬間に日常を抜け出すような感覚になった。



また、そんな素敵な場所で奏でるJazzの演奏もたまらなく魅力的で、スタンダード曲に加え、「天城越え」、「青葉城恋歌」のJazzのアレンジ・バージョンや「月夜野」といったオリジナル曲まで、大変、素晴らしい演奏だった。

MNGというグループの演奏だったが、なんでも先月中旬で行った仙台のライブも、大変好評だったそうだが、それも十分うなずけるものだった。



また、途中の休憩時間でもてなされた軽食やワインもスタッフの方々の気遣いが感じられた。

素敵な講演だったので、次回の24日に行われる、「第2夜」も参加してみたいと思う。

お近くにお住まいの方がいらっしゃったら、参加されることをお勧めする。


さて、本題。

先週、日本とアメリカでの失業率が発表された。

日本の8月の失業率が5.5%、アメリカの9月の失業率は9.8%と、雇用環境の悪化を改めて感じさせるものだった。

一方、政府と各省庁の間では、今年度の補正予算の編成について調整が行われているが、各省庁間での予算削減のテーマは無駄な公共事業の削減であるため、今後、少なくとも半年間は、政府投資による企業業績への貢献は限定されたものになるだろう。

だから、企業は将来の業績不安から採用を手控え、深刻な場合は、社員をさらに解雇する可能性すらあり、そのため、賃金は上がらず、結果として、消費は上向かず、モノの値段も上がらない、という完全なデフレ状況に突入していると言える。

だが、こんななか、業績を上向かせている会社がある。

その代表例が「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングだ。

昨日の日経新聞によれば、9月の既存店の売上高は前年同月比31.6%とのことで、伊勢丹や松坂屋といった、マイナス成長だった百貨店業界を大きく引き離している。

さらに驚かされるのは、売上アップや来店客数のアップもさることながら、客単価が7.8%伸びているということだ。

低価格の衣料品を取り扱う業態であることを考えると、なおさらその凄さが際立つ。

そんなユニクロは、今月のパリの基幹店のオープンに加え、都心でも大型店を次々に出店する計画を発表している。

これら一連の業績好転は、今の世の中の景気の影響が後押ししているのは間違いないだろう。

昨年まで、百貨店で買い物をしていたが、今年はユニクロで、という方もいらっしゃるのではないか。
(現に私もその一人??)

実際に失業された方や、働いていらっしゃる方でも将来の失業不安や、給与ダウンという現実に直面すると、嫌が応にも財布のヒモは堅くなる。

そんな荒んだ消費マインドをやさしく微笑んで迎えてくれているのが、こういう企業なのだろう。


それでは、こういった企業の成長は一過性のものなのだろうか。

もちろん、確実なことはいえないが、私は、ファーストリテイリングのような企業は長期的成長トレンドを描きつつあると考えている。

先週、日経ヴェリタスという金融専門誌が「診断『会社の年齢』」という特集をおこなっていた。

これは企業の売上成長率や企業の収益率、株価などを使って算出した指標を、人間の年齢に置き換えたもので、ファーストリテイリングのようなSPA(製造小売り)業態が押し並べて、20代後半30代前半と診断されたのを見て、妙に納得してしまった。
(ちなみにファーストリテイリングは27.9才!)

ヤフーやカカクコムのようなネット企業は20代前半、自動車が40歳前後、電機が40代半ばから50代といったように、まさしく日本の産業の実態を端的に表しているようだ。

身近に接する各社の状況などを想像すると、なんとなく理解できる気がするのではないだろうか。

異なる側面から眺めると、さらに理解を深められる。

今、再建問題で揺れている日本航空や、海の向こうで一足先に再建に目星をつけたGMなどは、業績不振のみが再建の重石になったわけではない。

それらの会社は、いわゆる先輩社員達の年金などが負債として重くのしかかっていたのだ。

一方、「20代」企業は会社年齢も若いが、スタッフも若い。

年金などを心配するのはまだまだ先のことなので、そういった面からも事業リスクが少ない。

事業の歴史が浅いという決定的な理由もあるが、結局、企業が継続して成長するには、ある一定の新入社員の採用枠は維持して、常にスタッフの循環を行うことが必要という証左ともいえる。

単純に平均年齢を若く保つというためだけでなく、「新鮮な」事業を維持するという意味でも重要なのだろう。

こういったことが一過性にならず、「トレンドを作る」という見方につながっているのだが、日本では、静かに、でも、確実に産業転換が行われているのではないだろうか。


成長ばかりがいいことではないだろうが、若い世代が力を存分に発揮できるような、活力ある社会にはなって欲しいと想いに耽る、中秋の名月であった。

K

2009年9月27日日曜日

政治的リーダーシップと国民の責任

先週、鳩山総理の動向が何かと注目された。

国連での二酸化炭素排出削減目標の提言と非核三原則堅持の明言、米・ロ・中といった各国首脳との会談など、なかなかの振る舞いだったと思う。

気の早いメディアや評論家からはそれらの実現性を問う声が聞かれたが、私は具体的な内容如何よりも日本が目指す方向性の一端が諸外国に向けて明示できたことが素晴らしいと思う。

そもそもそういった方向性がない限り、MovementやTrendは生まれない。

政府内で提示した方針達成に向けた裏付けが何もないとは思わないが、一方で、それらを実現するために何をどうすべきかの政策決定については、広く人々を巻き込み、一定のconsensusを持って、実行していくのだろうと予想する。

例えば、二酸化炭素削減目標に対して厳しい意見を寄せる産業界について、このところ、いわゆる「抵抗勢力」的な報じられ方をされているように感じるが、私は産業界の受け止め方を一元的に捉えるのはいかがかと思う。

ややストレートないい方だが、産業界は自社の利益に適うことには素直だから、声高に反対表明をする業界・会社がある一方で、待ってましたとばかりに今回の政府指針を好機ととらえ、積極的に取り組む企業も出ていくるだろう。

往々にして、これまで「大企業」と捉えられてきた企業が守旧派に回るであろうことは、経団連会長を務める御手洗氏の発言からもうかがい知れるが、例えば、御手洗氏の会社のような製造業にしても、このイニシアティブをチャンスと捉える企業もあるだろう。

風力発電、原子力発電、スマートグリッド、電気自動車などなど、今回のイニシアティブに関わりそうな分野に、日本のなかで少なくと1、2社くらい思いつく会社があるはずだ。

ややもすると発言が厳しくなりがちな産業界ですらそうだから、日本のリーダーたる鳩山首相が提示する指針の実現に向けて、政界・官界・実業界に渡って、新しいWork Groupが形成されていく期待を持てる。

今度の総理交代によって、政府の方向転換が顕在化した具体例として、国土交通省管轄下の事業がある。

八ツ場ダムや日本航空再建問題がその典型だが、これら課題への対応も矢継ぎ早で、ニュースを見ているほうがスリリングな印象さえもってしまうほどだ。

そのひとつである八ツ場ダムについては、そこに住む住民だけの問題と捉えるべきではないだろう。

今は緊縮予算のなかで、福祉・社会保障分野では実現すべき課題も多いから、ある均衡のなかで予算をやりくりしなければならない。

そういった観点から、今回の八ツ場ダム建設中止で削減された税金が、例えば、子供手当に充当されるとしたら、皆さん、どう思うだろうか?

それでも八ツ場ダム建設続行に反対? 賛成??

地域住民の方には大変申し訳なく思うが、情緒に流されず、日本全体の最適化のために下す決断が、政治的判断ではないだろうか。

日本航空問題にしてもそう。

これまでの政官癒着や労使問題の影響もあり、何度再建計画を打ち立てても立ち上がらず、しまいには、デルタやアメリカン航空との交渉を行いながら公的支援を仰ぐ状況まで追い込まれた。

それに対する前原大臣の対処は明確で、早速、旧産業再生機構OBを集めた、特別チーム「JAL再生タスクフォース」を設置して対応に当たることにした。

これまでのしがらみに拘束されたら、できない対応であるし、だからこそ、文字通り政治的決断が必要とされる根の深い課題なのだろう。

しかも、国民の血税を無駄にしない、という政治的意思の表れと捉えれば、もろ手を挙げて国交省の対応を支援すべきではないだろうか。

一説によれば、今回のタスクフォース結成は、アメリカのGM再建をモデルにしていると言われているが、類似した対応を行うとして現在のGMの状況から想像するに悪くないアプローチといえるのではないか。

今朝のサンデープロジェクトでの前原大臣のインタビューの内容は、冷静かつ論理的である一方で、八ツ場ダムについては住民への配慮を見せるなど、これまでの自民党議員には感じられなかった、ある種の清々しさを感じさせた。


これら一連の動きから、政治的リーダーシップとはこういうことなんだろうと思う。

その時々の優先課題に対して、国全体の利益のために、取り組むべき方向性を明確にして、それに必要なリソースを投入する。

だから、実現性の可否を問う前に、我々、一人ひとりの国民にとって、何が利益だと判断し、その政策に支援するのか、しないのかの立場を明確にすることのほうが大事なのだろうと思う。

それが、8月の衆議院選の結果に対する国民の責任だと考えるが、いかがだろうか。


それにしても、鳩山政権の滑り出しを見る限り、変化を予感させるに十分なものがある。

K

2009年9月21日月曜日

エコタウンを目指す官民の取り組み

シルバーウィークと名付けられた秋の連休を、皆さん、どうお過ごしであろうか?

連休ももう半ばになるが、私の前半は、野球観戦三昧で終わった…

しかも、住んでいる地域の高校野球の準々決勝を連日に渡って2日連続で観戦。

その影響もあって、こちらのBlogの更新も本日になってしまった。

2週間後の準決勝戦、決勝戦が楽しみであるが、その話題はさておき。。。


連休前半に電気店を訪れた際、思いがけない商品を見つけた。

電動スクーターが電気店で販売されていたのだ。

電動スクーターとは、ガソリンを燃料に使わず、家庭用のコンセントで充電する電気を動力源にするスクーター。

電気店にスクーター?

かなり意外な組み合わせだが、最近の話題の環境問題の関心も手伝い、しばし説明員の話に聞き入ってしまった。

同社の商品は、Webでも見れるので(動画あり)、興味のある方はご覧いただきたい。

ついでに調べてみると、こういった商品は他社でも紹介されており、Webを一通り、見たところでは、下記の商品が目に付いた。

また、YouTubeにも紹介されているので、こちらもご覧いただきたい。
(開始後、2:46くらいから具体的な商品の紹介が始まる)

http://www.youtube.com/watch?v=Ghc0yt7S_uw

このような電気で動くスクーターや自動車が注目されてきたが、ポイントは、CO2排出削減はもとより、何しろ、維持費が安いことだろう。

先の電気店で紹介されていたスクーターは1円で約3Km走るという。

燃費のいいガソリン・原付バイクのなかでは、スズキのアドレスV50Gが評判のようだが、こちらの燃費の参考値が1ℓ=76kmなので、仮に1ℓ=130円としても、1円で585mくらいしか走らない。

景気の浮上の足取りが重いなか、環境にやさしく、かつ、経済的にもメリットのある、電気を動力源にする商品が、今後、支持されない訳はない。


実は、19日(土)に、私が住む神奈川県では、全国の自治体でもユニークな取り組みがこの週末より開始された。

「EVシェアリングモデル事業」という、排ガスの出ない電気自動車(EV)のレンタカーを県と県民が分け合う事業で、全国初の試みという。

平日、県が業務で使用するEVを、土日祝日は県民に貸し出すもので、利用料金はガソリン車並みの3時間まで5,250円に抑えられるといい、当面、来年3月19日まで続けるとのこと。

詳しくは、こちらの記事をご覧いただきたい。

民主党出身の松沢氏が知事を務める自治体らしい、県民と自治体が直結した事業として、注目されるところである。

おそらく、車両管理はレンタカー事業者のほうでやるのであろうから、自治体としてもメリットがあるし、それよりも何よりもそういった先進的なサービスを享受できる県民のメリットも大きい。

これまでもマンションの住民向けにカーシェアリングを提供するものはあったが、それを自治体が行うのだからスケールが大きい。

一方で、自動車メーカー側の観点からこの影響で販売が減少するのではと心配する声も出そうだが、そもそも、今の若者は車を購入するモチベーションが高くないように思えるので、この事業そのもので、直接、大きな影響を受けるものではないと思う。

むしろ、レンタルCDやビデオではないが、シェアリングを通じて、自動車と接点を持つことで販売機会が生まれるのではないか。

この神奈川県の事業には、富士重工業と三菱自動車の車が対象になっているようだが、業界の1番手とはいえないこの2社が、他社に先駆けて取り組んでいるのは、決して、偶然ではないだろう。

まだ、この事業の期間は半年くらいあるので、ぜひ、一度、利用してみようと思う。


そういえば、以前のBlogでも紹介させていただいたが、アメリカにお住まいで、アメリカ初のソーシャル・ビジネスを週1回紹介されている、斎藤槇さんの今回のメールでは、自動車シェアリングサービスを手掛ける、Zipcarと、サンフランシスコ市の取り組みが紹介されていた。

先の事例もそうだったが、斎藤さんとは関心を寄せるトピックスが重なるようだ。

メールによれば、Zipcarとサンフランシスコ市は、ハイブリッドカー利用を促進しており、Zipcarは利用者に提供できるハイブリッド車を増やす一方、市は市庁舎前にチャージできるステーションを設置するといった協働とのこと。

Zipcarのサービス・コンセプト(英語): 

なんでも、サンフランシスコ市は全米でも1、2を争う環境にやさしい都市とのことで、現在、また、同市はマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボとの共同プロジェクトとして、スマートスクーター、モーター付き自転車の導入も検討しているという。

先に紹介したようなスマートスクーターにも対象を拡げようというのだから、その意気込みはかなり野心的といえる。

日本の場合、スクーターのほうは自治体のシェアリング事業とするのもいいが、利用者のアクセスの良さという面では郵便局も面白いかもしれないが。


これらを客観的に見ると、便利でエコだけではなく、それ以前に安全が最も重視されなければならず、そういう意味では、決して参入障壁は低くはないと言える。

ただ、これも見方を変えれば、ボランティアではできない、事業者として取り組むべき事業で、事業者が新規参入する余地が十分にあるともいえる。

日本の内需振興をもたらす、新しい事業になるか。

生活習慣を劇的に変えるようなインパクトを予感させる事業なので、いずれにしても大いに期待したい。

自治体もそのメリットを享受しつつ、サポートしてもらいたい事業である。

K


爽やかエコドライブに、ショッピングに、通学に時代の先端を走る爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク。爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク「華厳」

2009年9月15日火曜日

購買力平価と為替から考える日本の課題

先の週末は何かと慌ただしかった。

土曜日の朝から長時間の試験を行い(この歳でさすがにつらかった)、それが終わってからある講演会に参加、その日一日の労をねぎらうために夜はライブに出掛けたまでは良かったが、やや飲みすぎたためか、体調を崩し、日曜日はほとんどまともに動くことができなかった。

後半はなんとも情けなかったのが、こんな時にもいろいろと発見はあるものである。

今回のブログは、最近、個人的に目に触れる機会が多い話題である、購買力平価と為替の関係を取り上げて、日本の課題をまとめてみたい。

購買力平価ということば自体、かなり堅い表現なのに、なぜこんなに目に触れるかといえば、日本がデフレ・トレンドを辿っているのを意識していて、やはりモノの値段に関する話題に敏感なせいかもしれない。

そのため、目を通す新聞記事や講演会の話題などについても意識してしまい、取り上げられる機会が多いと感じてしまうのだろう。

結論からいえば、購買力平価の観点から判断すると、相対的に、日本円は他の通貨と比べて、10年以上その価値を下げ続けているらしい。

言い換えれば、外国から見れば、日本のモノはどんどん安く変えるようになる一方、海外のモノは、どんどん高くなり、買いにくくなっているのだ。

身近な例でいえば、日本から海外旅行に行く場合、コストは膨らむ一方で、日本に来る外国人観光客にとっては、日本のモノはますますお買い得になっているようなものだ。

この観点からすれば、サブプライムローン問題が表面化するまで自動車や電機などの輸出産業の業績が良かったのは偶然ではないと言える。

そうはいっても、皆さんは、日頃、テレビや新聞で目にする為替レートで、そういう理解がしっくりこないかもしれない。

ただ、メディアで紹介される為替レートは、物価水準が反映されていない、いわば名目の実効レートになるため、実質的な通貨の価値を反映しておらず、これだけでは為替の価値を判断できない。

そこで、購買力平価の出番になるわけだが、まずは、その基本的なコンセプトについて、説明したい。

購買力平価は、同じ商品であれば、どこの国でも、同じ価格で売られているはず、という原理に基づいた説である。

例としてよく引用されるのがハンバーガーで、日本において100円で売られているものがアメリカでは1ドルで売られている場合、購買力平価、言い換えると、為替相場の均衡点は、1ドル=100円となる。

この説のよりどころになっているのが、為替需給による自動調整機能で、もし、ある国の通貨が購買力平価に比べて割高になっているならば、輸出競争力が低下し、経常収支は悪化、その結果、その通貨の需給は「ゆるみ」、適正価格水準に向かって次第に下落していく、というメカニズムが働くという。

12日(土)に聴いた、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの五十嵐敬喜氏の話では、90年代半ば以降、日本の物価水準は海外に比べてじわじわと下がっており、その差は広がっているという。




そのため、上記のようなセオリーを適用すれば、日本円の実効レートは、円高に振れてよいはずなのだが、そうとはならず、実際には、円安トレンドになっているそうだ。

この理由は、我々が普段、メディアで目にする円の名目レートが、物価のズレほどには、円高になっていないためとのこと。

関連して、9月6日付の日経ヴェリタスでの深谷幸司氏の分析は興味深い。

主要通貨について、購買力平価を試算しているので、ここでご紹介しておこう。

米ドル: 1ドル=97円(消費者物価基準)/87円(資本財物価基準)
豪ドル: 1豪ドル=66円(消費者物価基準)
英ポンド: 1ポンド=148円(消費者物価基準)

(註: 深谷氏も紙面で述べているが、いずれも起点とする年や用いる物価指数もひとつではなく、絶対的な購買力平価ではないので、ひとつの参考値としてご確認いただきたい)

この試算と現在のレートを比較すると、実効レート以上に円安であることが見て取れる。

では、今後、米ドルと日本円を比較した場合、為替レートはどうなるのか?

前出の五十嵐氏は、米国の財政収支に着目しており、大幅に上昇する財政赤字を見越したうえで、それでも政策効果が実感できれば、リスク許容度が増し、ドルを売る動きが出るものと予測しており、そうなれば、ドル安・円高になるという。

ただし、日米の金利差が予想以上に開いた場合、ドルを買う動きの影響で、ドル高・円安にもなり得る、と付け加えていた。

これらを総合すると、物価を加味したうえで理論的に円の価値を考えれば、日頃目にする為替レートはもっと円高になってもおかしくない状況であることは理解いただけると思う。

一方で、賃金も上がらず、デフレ傾向が続き(個人的にはそう予想している)、海外との価格の差が開くようであれば、実質的に円安になる傾向は変わらない。

もし、そうなれば、これまでの輸出主導の製造業がけん引する日本経済からの変化は難しくなると同時に、食料や資源の調達がますます不利になっていくと予想される。

理論上、この流れを変えるには、デフレを止めるべきであるが、そのためには消費者の懐具合がそれなりに温かくならなければならないので、賃金の上昇が不可欠である。

そのためには、これ以上の失業率の悪化は防がねばならない、ということになるので、セーフティーネットも大事だが、より根本的には雇用を創出する政策がもっと大事になる、という、いつもの結論に落ち着くわけだ。

明日、誕生する鳩山新政権にその課題克服を期待しつつ、我々が主体性を持って取り組めることはないか、これからも考えていきたいと思う。

K

2009年9月6日日曜日

社会的起業の事例 ~路上生活者の実情とその支援が目指す方向とは?

先週、目を通したニュースに目が離せなくなるものがあった。見出しと書き出しは以下の通り。

路上生活者:心の病深刻 失業、就職難が原因に 東京・池袋、医師ら80人調査

 路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症など何らかの精神疾患を抱えていることが、東京の池袋駅周辺で精神科医らが実施した実態調査で分かった。国内でのこうした調査は初めて。自殺願望を伴うケースも目立ち、調査に当たった医師は『精神疾患があると自力で路上生活から抜け出すのは困難。状態に応じた支援や治療が必要だ」としている』」

詳細について興味のある方は、タイトルをクリックしていただければ、記事のタイトルをクリックすればリンクが張っているのでご確認いただきたい。

この記事が読んだとき、胸が痛んだ。

巷間では経済の底打ちなどが騒がれているが、その経済の悪化に伴う社会的な歪みに目が向け、そして対処することができていないという日本社会の現実を目の当たりにしたような思いだった。

自治体や会社、そして家庭も懐事情が厳しいなか、そういった歪みに目を向けるだけの余裕がなくなっているのも無理もないようにも思う。

また、政治的な対処や自治体のフォローアップも十分でないのが実態なのだろう。

ただ、失業の憂き目と精神疾患で行き場を失い、路上生活を余議されなくなっている人がいる現実をどう捉えればいいのだろうか。

企業や政治の不十分な対応を批判するのは容易だが、しかし、今回の記事で紹介されている路上生活者にも、家族や友人、職場の先輩、同僚、近隣の住人の方もいただろうに、なぜ、そうなってしまったのかと思う。

やりきれない思いでこのことを考えていたところ、斎藤槙さんが代表を務められているASU International社のメールマガジンが飛び込んできた。

斎藤槙さんの著書『社会起業家 -社会責任ビジネスの新しい潮流-』(岩波新書)を読んでからというもの、社会的起業について、いろいろと勉強してみたいと思い、このメールマガジンを申し込んでいた。


社会起業家


このメールマガジンはアメリカでのソーシャル・ビジネスを紹介するものだが、今回のテーマは、ずばり「ホームレス支援事業」。

この記事によれば、カルフォルニア州サンタモニカ市はホームレスに優しい街ということで米国でも有名とのことで、人口一人当たりの割合で言うと、ホームレス対策費用、シェルターのベッドの数などでは全米一、とのことだった。

そして、今回、紹介されているのが、Step Up on Secondという団体の話。

Step Up on Secondは心の病を患う人たちのリハビリ施設、救済の場として1984年に設立。

設立のきっかけがひとつのドラマで、心の病を患う息子を持つひとりの女性が、息子を治したい一心で試行錯誤を繰り返し、たどりついた方法がアートセラピーや職業訓練、あるいは何かの技術を身につけるといった生産的活動を行うことによって周辺の環境を改善していくことに至り、同団体を設立したという。

現在、1,200人を超える心の病を抱える人のケアを行い、34の住居を提供しており、さらに新しいビルを建設したとのこと。この建設にあたってサンタモニカ市やさまざまな営利企業も協力を行ったと紹介されている。

入居者の条件は、ホームレスであること、そして恒常的な心の病を抱えていることで、入居は申し込み順。

記事のなかには、入居者の声が紹介されている。

「最近のLAタイムズ紙で、あるホームレスの記事が紹介されました。52歳のCraig Blasingameさんです。彼は8年間のホームレス生活の後、Step Up on Fifthにたどり着き、運良く入居することができました。

『8年間トンネルの向こう側にある光を求め続けてきました。いや、そのトンネルさえ見つけられなかったのが現実でした。でも、今では、サンタモニカの新しいアパートで、朝起きると折りたたんでしまえるベッドのベッドメーキングをするようになりました。もちろん、この8年間ベッドメーキングなんてしたことはありません』

さらに『ここは本当に僕の場所。新しい友達もできたし、楽しい思い出作りもしています』

彼は今では地元のファーマーズ・マーケット(青空市場)で週2回働いています。

『とうとうトンネルの向こう側の光にたどり着けました。ホームレス仲間の間で、言われているトンネルの向こう側の光にね。』」

今回の記事を読んで、「もうひとつの軸」が果たす重要性をしみじみと感じた。

自治体や会社でもなく、また、家族や友人とも違う、「もうひとつの軸」が果たす役割。

今回紹介されている「Step Up on Second」のような団体はその「もうひとつの軸」である。

志高い意図を持った人が設立された団体とはいえ、それまでにこのように社会との関係性を生み出すメカニズムが存在しないが故に人工的に作られたものだ。

高齢者施設と同じように捉え、それを機械的に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、生い立ち(家族・友人)や損得(会社)と一線を画すバランスのなかで成立する社会との関係もあるのでは?と感じる。

ゆくゆくは、社会との関係のなかで自立することを目指すのだから、これは日本で言われるところの奉仕とも違うだろうと思う。

ということで、社会的起業という表現がぴったりくるのだが、そういうメカニズムが早く日本でも根付くことを望みたい。

これからもこのような社会的起業について触れていきたいと思う。

K

2009年9月1日火曜日

今回の選挙結果に想うこと~富の再分配システムへのニーズ

先の衆院議員選挙は、大方の予想通り、民主党の地滑り的な大勝利に終わった。

4年前の自民党の大勝と全く逆の展開となり、オセロ・ゲームの白黒の駒がまるまるひっくり返ったような印象だ。

この民主党の大勝について、いろんな方がいろんなコメントをしているが、私は、ここ何年かの「小さな政府・タカ派」から「大きな政府・ハト派」へと大きな方向修正が図られた、と見るのが妥当であろうと考えている。

池田勇人、佐藤栄作、田中角栄らが確立した自民党の保守本流は典型的な「大きな政府・ハト派」であり、その流れを汲む民主党・小沢氏がこの路線を引き継ぐ一方、小泉前総理の構造改革路線を修正しきれない自民党は「小さな政府・タカ派」政党と受け取られて、国民にそっぽを向かれたということではないか。

小泉政権は、派閥政治の解消を通じ、自民党が良くも悪くも時間を掛けて築いてきた「富の再分配」を破壊してしまった。

前回の衆議院選挙はそれが有権者に好意的に受け止められたため、大勝したのだが、今回は昨年からの金融危機も手伝い、「富の再分配」システムがなくなることを国民はリスクと受け止めた。

そのために、派閥の領袖や閣僚経験者であるほど、有権者の受けは悪く、結果的に落選の憂き目にあうこととなった。

そして、以前だったら、完全な保守基盤(=自民党基盤)である都道府県は、ことごとく民主党に議席を奪われた。


少しつっこんで考えたい。

2000年になった頃、これまでの再分配システムが受益者よりも供給者が優先されて既得権益の温床となったことで、機能不全のシステムを解体すべく、構造改革・規制緩和といったマーケット・オリエンテッドな手法が支持され(=「新自由主義」と呼ばれる)、小泉政権を誕生させるきっかけになった。

ところが、そのパフォーマンスが低下していたとはいえ、多少なりとも機能していた再分配システムは、構造改革の旗印の下、その機能を完全に失ってしまう。

雇用面では、国内の雇用維持と労働者への柔軟な労働環境を提供することを名目として、製造業の派遣労働が解禁となった。

また、「ハコモノ」行政による、地方の建設業界への予算還流もなくなるとともに、「三位一体」の地方制度改革の下での地方交付金も事実上、削減される。

郵政民営化にしても業務拡大よりも業務効率化が目的だから、再分配機能は働きづらい。


民主党のマニュフェストからは、多少の不公平感も感じなくもないが、手段を変えて、国民一人ひとりに、直接、富が分配されるシステムを確立しようとしている。

再分配を渇望する国民には、魅力的な内容と映っているはずだ。

民主党政権は、様々な予算の無駄を排除するのはもちろん、場合によっては、国債も発行して、次の参議院選挙くらいまで、とにかく「バラマキ」を実施するだろう。

それによって、来年の参議院選挙の単独過半数獲得を狙うはず。

もし、参議院まで民主党に単独過半数を握られれば、自民党は党としての存在意義を失うかもしれない。

そうなれば、2大政党制なる大義名分は機能しなくなるが、そうなったらなったで政界再編などによって政治の世界は体裁を保つと思うのでそこはシリアスな問題にならないかもしれないが、問題は我々の生活のほうである。

再三、ここで述べているが、私は少子化対策よりも世代間雇用格差のほうがより喫緊の課題だと認識しているが、その課題にどう切り込むか、また、既に海外では議論されている、景気刺激策の「出口戦略」をどう取り組むか、そして、一連の対策により、膨らむ国の借金にどう取り組むのか、中期的な対処策が求められるに違いない。

繰り返すが、今回の圧勝により、民主党はこの1年くらいは、彼らのマニュフェストの実現に傾注し、本格的な「バラマキ」政治を実行するだろう。

以前のBlogでも述べたが、しばらく雇用環境は良くならないだろうから、その「バラマキ」政策が厳しい環境にうまくミートすれば、国民からは絶大な信頼を獲得するに違いない。

でも、問題は1年後に民主党がどういう施策に取り組むか、具体的には平成23年予算(平成22年補正予算も?)をどう編成するかでその手腕が問われることになるだろう。

諸外国、特にアジアとの関係強化を図りながら、国内で、環境、農業、エネルギー、社会的起業など、自立回復を果たす、国家戦略を確立できれば、その基盤はゆるぎないものになるに違いない。


K

2009年8月30日日曜日

総選挙後の日本社会 ~私の望むこと~

今朝、投票に行ってきた。

普段、投票所の周辺は日曜日といえども、それほど人通りを感じないのだが、今朝は様子が違った。

帰りに寄ったスーパーも、日曜日の朝にも関わらず、大変な人の入りようだった。

これも選挙の影響か?

2005年の総選挙とは違う意味での今回の選挙は盛り上がりを実感する。

マスコミ各社は、民主党の大勝を報じ、自民党は100議席もとれないのでは、という報道まで出る始末。

そういう形勢逆転が予測される環境で投じる一票に、少なからず、政治的参画への意義を感じるのは私だけではないだろう。


民主党が政権を取った後の社会はどうなるのか。

予測されるのは、子育て支援、最低保障年金の実現、農業の個別所得補償、高速道路の無料化などの政策を推し進めるために起こる、「高負担」社会の到来だろう。

だが、民主党はこれらの政策は、消費税率を上げず、税金のムダづかいを排除することで実現するという。

よく指摘される「民主党政策の財源の不明確さ」はそのギャップから生じるのだが、民主党としては、あくまで、家計の可処分所得を増加させることを目的にするという。

各々の立場によってこれらの政策によって得られる効用は異なるように思えるのだが、仮に民主党が政権をとった場合、個人的にどうメリットを享受できるか、大いに注目したい。

また、経済については、環境対策、中小企業の税率の引き下げが具体的に掲げられているが、焦点はどちらかといえば内需型経済の推進になるだろう。

額面通り受け取れば、小泉政権以降、続けてきた経済政策からは大きな政策転換となるわけだが、今後の日本経済にどう影響を及ぼすのか、こちらも注目されるところだ。

以前のBlogでも述べたが、農業・環境は、ある種、インフラ事業なので、大手企業の参入ばかりが図られ、結局、生活者の利便性が損われたり、新規参入の可能性が少なくなるようでは、その効果も限定されてしまうだろう。


私は、環境や農業も改善してほしいのはやまやまだが、それに加えて、公共政策の推進がそのまま高負担にならない社会、言い換えると、自治体や公共団体が担っている役割を、社会的起業家がその役割を担える社会が実現されることを望む。

20代の若者の間で、こういった分野に関心を持つ人が多くなっているのは、大変、頼もしく、より多くの若い世代に、社会的起業を行ってもらいたいと思う。

もちろん、彼らは資金や経験が少なく、失敗に終わることも多いだろう。

その点、海外にあるようなNPOやNGOの活動を支援する組織・団体の設立し、仕組みとして支援する体制を整えたり、事業が失敗した際の保障を充実させたり、といったことを同時に準備する必要がある。

高齢化社会を迎える日本は、今後、社会保障費がうなぎ登りで、国の予算配分もそちらに比重を置かざるを得なくなるだろう。

それだって、いままでの前提で考えるからそうなのであって、より柔軟性があり、気力や体力も充実している世代がその役割を担えれば、ある種、社会的な事業として取り組むことで、予算も少なくて済むかもしれないし、社会に役立ちたいという希望にもこたえられるかもしれない。

また、そこで行った社会的事業の取り組みが同様の社会構造をもつ国々(中国もあと10年もすれば同じような課題に直面するはず)にも役立つかもしれず、国際的な活動機会も生まれるだろう。

新たな「ジャパン・モデル」の誕生である。


総選挙後の日本社会は、そのようなダイナミズムが生まれるだろうか?

少なくともそうした期待だけは失わず、引き続き、このBlogで触れていきたいと思う。

K

2009年8月24日月曜日

Post Electionの日本の政治をどう評価するか?

今、私の手元に2つの政党のマニュフェストがある。

今度の衆院選で与党になると予測されている某野党と、議席数は少ないが、生活者視点の政治の重要性を訴える、これまた、別な野党のものだ。

この週末、歩いていて何気なく、受け取ったものだ。

偶然かもしれないが、選挙一週間まえにもかかわらず、自民党のマニュフェストを受け取ることはできなかった。

これも勢いの差かなと思う。

手元のマニュフェストによれば、民主党が掲げる主な政策目標は、税金のムダづかいの根絶、子育て支援、年金通帳の発行、「地域主権」の確立、中小企業への税率減少、などとなっている。

今回の選挙結果について、様々な予測が出ているが、民主党の勝利が大勢の見方のようだ。

時事通信社は、民主党が480議席中300議席以上を獲得するだろうと報じている。

もし、そこまで圧勝すると、他党との連立を組むことなく、議会運営ができるようになる。

国民の本音としては、とりあえず、今の自民党政権に確信が持てない、はたまた、ポスト小泉政権の運営にほとほと嫌気がさした、などいろいろ理由はあろうが、一度、与党を変えてやれ、ということなのだろう。

大きな期待は持てなくとも、自民党政権の下で、スポットが当たらなかった部分が明るみに出るかもしれないという期待感もあるだろう。

既にいくつかのメディアでは専門家の意見として、ポスト・エレクションについて状況が述べられている。

慶應大学の竹中平蔵教授は、政権政党が自民党になっても、民主党になっても、各党の政策実施の際に、税負担が重くなることを懸念しており、特に法人税の税率を上げるようなことになれば、企業は一斉に日本から逃げていく、と警告を発している。

また、日興シティグループ証券 藤田氏は、民主党が衆院選で単独過半数を獲得した結果、環境技術の育成や人口動態の改善、個人消費の拡大により、株価が上昇するとしている。

加えて、今回の政権交代は、「小さな政府、タカ派」(旧田中派、経世会)から「大きな政府、ハト派」(旧福田派)に振り子が振れようとしている、と論じている。

状況を大局的に見る見たてとしてわかりやすい例えであり、田中真紀子氏が、民主党へ鞍替えするのは、象徴的な出来事であった。

いずれにしても、今回の選挙で仮に民主党が大勝すれば大きな方向転換となるが、その成果が1年前後のインターバルをおいて国民の審判に問われることになる。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、来年の夏に参議院選挙がある。

この1年間の政権運営で支持を得られなければ、参議院選でシビアな結果になるだろう。

よって、今回の衆議院の任期は4年といいつつも、新しい与党は、それほど、悠長に構えているわけにはいかない。

すぐにでも、成果を出さなければならない。

自民党のマニュフェストに若者の職業教育の強化、年長フリーターを重点とした正規雇用化支援といった内容はあるが、民主党のマニュフェストと合わせて見ても、私のBlogで何度か唱えてきた、世代間格差は根本的に解消されそうもない。

少子化対策も大事だし、年金も国民の信用が関わるのでフォローアップは必要、これらは最低限やらなければならない課題であることは確かである。

ただし、今後の4年間を見据えた政治的・経済的な政策のプライオリティーとして、現在の20~30代の雇用、別な言い方をすれば、この世代の社会的参画のあり方を本格的に取り組むべきではないかと思う。

これは製造業派遣対策に限らない。

より大きな意味で、多少時間を掛けても、大きな社会的変革を促し、若者世代の仕事への関わり、自己実現への手段の提示、社会参加の機会を提起していく必要があると思う。

これは産業界だけの取り組むだけでは不十分で、政治的リーダーシップがないと出来にくいことであり、その意味で、より本腰を入れて取り組んでいただきたい。

ここ数年で、中国、マレーシア、トルコ、オーストラリアなど旅行で訪れたが、若者が元気な国は勢いを感じる。

私はこの世代間格差の解消を本気で取り組めるか否かを、Post Electionの政治を評価するうえで、ひとつの軸に据えたいと考えている。

K

2009年8月19日水曜日

Bottom-upから考えるNew Economy(2)

社会的起業についてはこれまでのBlogでも何度か言及してきたが、ボトム・アップ型の経済システムのひとつのソリューションになると考えている。

というのも、活動の性質として、今ある経済システムから漏れてしまう様々な社会的ニーズを解決する手段として、有効と考えるからだ。

芝浦工業大学・渡辺教授と東京工業大学大学院・露木氏の両氏は、最近の論文「社会起業家と社会イノベーション」で、市場経済を前提とする経済活動と公共サービスを提供する政府活動の2つのセクターに加え、市民がイニシアティブを持つ第3のセクターとして、非営利組織(NPO/NGO)に並び、社会起業家(Social Entrepreneur)に関心が集まっているという。

その背景として、グローバル化と利益の最大化を前提とする経済とは別に、「もう一つの経済(Alternative economy)」が存在しているという考え方がある、と。

その典型が、「コア・コンピタンス経営」の共著者で有名なC.K.プラハードが、「ネクスト・マーケット」で唱えた、「ボトム・オブ・ピラミッド」というコンセプトであり、利益極大化の経済システムが無視してきた市場に焦点を当てようというものだ。


コア・コンピタンス経営


ネクスト・マーケット

具体的には、発展途上国の低所得者層向けの事業を想定しているのだが、日本でもお馴染みの取り組みとしては、グラミン銀行のマイクロクレジットなどもこの取り組みの一つといえるだろう。

勘違いして欲しくないのだが、ここで訴えようとしているのは、発展途上国向けのビジネスを普及させようということではない。あくまでも、日本で行う事業を前提としている。

イギリスの社会変革財団 ヤング財団のGeoff Mulgan氏はいう。

「Business Innovationが、“利潤最大化”に動機づけられたイノベーションと位置づけられる一方、Social Innovationとは、“社会ニーズ”に動機づけられた革新的な活動やサービスである」

日本では、昨今の景気悪化もあり、景気浮揚策の一環で経済第一主義になりそうな雰囲気もあるが、この10年弱の市場の歪みを直す意味でも、「もう一つの経済」、「“社会ニーズ”に動機づけられた革新的な活動やサービス」に注目する必要があると思う。

先のBlogで、農業とエネルギーを政府のイニシアティブとして推進すべし、と申し上げた。

しかし、これらの事業には初期投資に莫大な資金が必要で、その投資回収を前提に事業計画を立てざるを得ない。

また、その分、安定した利益を上げるのに時間が掛かることも想定される。

別な言い方をすれば、これらのNext Economyへの参入は巨大な資本を持つ会社や団体のみに限られ、利益最大化を目指す市場経済の論理で展開されることも十分に予想される。
(現にEnronはそうだった!)

そのため、事業の性格としてはこれまでの製造業と大きくは変わらないことになるかもしれない。

また、我々の生活にベネフィットとして実感されるまでに時間も掛かるだろうし、その事業のなかで雇用を吸収しようとするのも限界があるだろう。

一方で、社会起業家による社会ニーズに応えるビジネスはそれとは異なり、はるかに少ない資金、しかも、少人数で始められるメリットがある。

より本質的には、利益の最大化を目指す市場経済でも、様々なしがらみから逃れられない政治活動にも実現できないサービスが提供される可能性があるということだ。

だから、社会的起業は既存の会社組織や団体に縛られることなく、個人がオーナーシップを持って始めるべきだと思う。

少ない事業体や団体が従業員を雇うのではなく、数多くの事業者が少ない従業員を雇うような社会、「1億総中流」ならぬ、「1億総事業者」構想というのもスケールが大きくて面白い。

ただ、懸念されることとして、ある一定のニーズの下、始めるのでそこそこの事業にはなるだろうが、どれくらい継続し、どれだけの規模になるのかは不透明な部分も多い。

だから、事業が行き詰まる前の対策や事業が倒産してしまった後のセーフィティーネット面で、政治的なイニシアティブも重要である。

そして、事業資金の獲得が大切であるが、これは既存の金融機関に頼れないだろう。

その役割を果たすのはCSR投資に関心を示す投資ファンドや、マイクロクレジットを行う金融機関(「グラミン銀行 日本支店」?とか)だろうと思う。

こんなところにも、新たな産業や雇用の受け皿が生まれそうだ。

こういった、「もう一つの経済」を前提にした社会起業家、そして、彼らの活動によるソーシャル・イノベーションで、ボトム・アップ型のNext Economyは、これからの日本を考えるうえで、大切なコンセプトだ。

今の20代の若手世代がこの領域に関心を持っているのも心強く思う。

これら社会起業をサポートするシステムや具体的な事業など、引き続き、この課題については、折に触れて、注目していきたいと思う。

2009年8月16日日曜日

Bottom-upから考えるNew Economy(1)

前回のブログでは、衆議院総選挙が今月末に迫っていることもあり、日本経済を俯瞰して捉え、政治と経済の関係から次の日本経済のエンジンを考察してみた。

昨今、特に脚光を浴びている農業と新エネルギー事業については、日本が資源に乏しい国であることともに、産業としてのインパクトの大きさから、ある種、「インフラ」事業として政治課題として取り組むべし、という内容でまとめた。

今回からは、より身近な生活者の目線からNew Economyを考えてみたい。

特に社会参画という意味での我々のワークスタイルについてどう取り組むかは大変重要なことだと思う。

特に20~30代前半といった若い世代の雇用を生み出す事業がどうあるべきかは緊急の課題である。

確かに、政治や経済といった大局的な観点でみれば、農業や新エネルギー産業は大事かもしれない。

しかし、その基盤整備ができ、食べ物やエネルギーの心配がなくなったからといって、それらの事業が今までの製造業が生み出してきたような雇用機会を生み出すとは限らず、機械・設備などの技術発展により、むしろ、生産性が上がり、働き手が不要になることも考えられる。

例えば、最近、流行のスマートグリッドが普及したら、今の電力会社が必要としている労働力と同じだけの労働力が必要になるだろうか?

そんなハイテク・インフラがあるのに、電気の検針を人が一軒一軒検査する状況など考えられない。

また、農業にしてもしかりで、作付面積が広くなった畑や田んぼでは、農地が増えれば、人では必要になるであろうが、その分、生産性を上げようと必死になるだろうから、今の農作物のアウトプットに掛かる労働力よりも、少なく済んでしまうのではないだろうか。

日本はこれから少子化社会を迎えるが、問題はその少なくなる労働力と生み出す雇用がどうバランスするかで、結果的に労働機会が少なくなってしまっては元も子もない。

技術の進化によって、益々、生産性が上がることになることは間違いないし、単純な労働であれば、中国をはじめアジア各国で請け負うことが可能となるので、今までの延長線上で、雇用を考えてはならない。

そのいい例がアメリカだ。

技術発展により、どんどん人手が掛からなくなるなか、製造業は、中国、インド、メキシコなどに工場を移転、本国に、労働集約的な雇用機会は残らなくなった。

その結果、スキルを必要としない労働については、移民も加わって競争が激化、益々、賃金が上がらなくなる。

こうして資本家や経営者は富み、労働者の収入は限られる格差社会が、堅固になっていく構図が鮮明になる。

日本も既にその兆候が見られるが、今の状況を放置したら、世代間で雇用機会や賃金に生じる格差以上の状況になるのではないか。

極論すれば、富める資本家・経営者が、移民やアウトソーシングを使って事業を行うような社会というのもあながち的外れではないかもしれない。

だから、生活者目線からNew Economyを考えることに意義があるのだと思う。

前置きが長くなったが、次回のBlogで本論に移ろうと思う。

K

2009年8月9日日曜日

Next Economyについての政治への期待

前回までのブログのなかで、日本経済の現状、ならびに今後の予測を観察してきた。

結局、いまのままでは、雇用も生まれず、賃金は上がらず、価格下落のデフレ現象がダラダラと続き、企業業績の継続的な成長は見受けづらい状況であることを指摘した。

そういうなか、先週は、次の成長エンジンになりそうなトピックスがないか、意識的に各メディアを見てきた。

日経新聞は、「ニッポンの農力」というタイトルで特集を組み、次の成長産業のひとつの候補として、農業にフォーカスしていた。

中国での大胆な農業振興や、レストランを含む流通ニーズに対応した農作物作りや、耕作地の取り扱いの課題など、多方面にわたる側面から農業問題を取り扱っていた。

また、太陽光発電や電気自動車などのエネルギー関連のトピックスも引き続き、取り上げられている。

エコ住宅というコンセプトがにぎやかに取り上げられるなか、経済産業省は6日、家庭の太陽光発電で得た余剰電力を電力会社が買い取る新制度について、年内に開始する案を公表した。

また、三菱自動車は社長の直属組織として電気自動車事業の運営を手がける「EVビジネス本部」を新設すること、日産自動車は2010年後半に発売予定の電気自動車「リーフ」を発表した。

そして、これら2社に加え、富士重工業と東京電力は、EV普及に欠かせない急速充電設備の整備で協力すると正式発表を行った。

これらを後押しするように、地方自治体が相次いで、電気自動車を普及させる独自の施策に乗り出している。環境にやさしい車の拡大に一役買うことで、地域のイメージの向上につなげる、という。

東京都などが購入者や充電施設を設ける事業者に補助金を出すほか、京都府や京都市は観光客らが利用するレンタカーやタクシーへの導入も後押しする。

神奈川県の場合、補助額は1台につき上限69万~69万5000円。国の補助とあわせると230万~240万円程度で購入できる。2009年度は200台の助成を見込む。


環境問題への意識の高まりもあり、農業やエネルギー分野への注目度が高い。

特に資源に乏しい日本は、両分野は喫緊に解決すべき課題のはずであり、いままで「表舞台」で取り上げられなかったのが不思議なくらいである。

ただ、注意しなければならないのは、いずれもある意味で「インフラ」事業なので、基盤整備が整わない限り、飛躍的な発展も望みづらい。

よって、ボトム・アップで仕組みが出来上がるという性格のものではなく、トップ・ダウンで取り組むべき課題と思われるため、政治的課題として取り組むべきもののはずである。

日本の高度成長期には、国土の均等なる発展を掲げた「列島改造論」があり、大いに土木・建設業を盛り上げた。

地方を含む広域な経済インパクトという意味で旧建設省が主導した土木・建設事業の下支えは無視できない。

農業やエネルギーをその現代版として、国として「青写真」を掲げ、政治的アジェンダとして取り組むべきものだろう。

自民・民主各党でも、「環境にやさしい」といったトーンでこれらを取り組もうという意識は垣間見える。

ただ、どちらかといえば、いずれも総花的で、様々な課題を積み上げてマニュフェストとしている印象が拭えない。

子育て支援や雇用保障はもちろん大事。ただ、何を主要な政策課題に掲げて次の選挙までの4年間に政権政党として取り組むのかを問いたい。

誤解を恐れずにいえば、適切な生活保障に関する制度設計を行うのは当たり前のことで、それをあたかも政治的な政策課題のように語るのは、やや論点がズレているように思われる。

生活保障は必要だが、それだけでは雇用は生まれない。

成長エンジンとなる産業振興を行い、結果、雇用を生み出さなければならない。

今月末に選挙もあるので、まずは、政治への期待という観点から、今回のブログをまとめてみた。

いろんなご意見をお寄せいただきたい。

K

2009年8月2日日曜日

株価浮上の裏側にあるものは?

このところ、株価が上昇してきている。

本日の日経新聞によれば、2009年4~6月期決算を集計したところ、世界的な不況で1~3月期に赤字に陥った全産業の連結経常損益は黒字に転換したという。

自動車や電機を中心に合理化が進展、企業業績は1~3月期を底に最悪期を脱したとの見方も出てきたと報じている。

その記事では、主要データとして、以下のように紹介している。

・4~6月期の全産業の連結経常損益は9,783円の黒字

・主因は製造業の合理化効果。輸出企業は工場再編や人員整理に踏み切り、製造業の赤字は2,552億円と1~3月期の約9分の1に縮小。

それを踏まえ、ドイツ証券の神山直樹チーフエクイティストラテジストの、

「経済危機が日本企業の収益を直撃した原因は低い利益率。03年以降の構造調整をしのぐ再編や、生産性向上を通じた体質改善を続ける必要がある」

コメントを紹介している。

およそ金融機関のアナリスト・コメントとしては、平均的なコメントと見るが、それほど、簡単な問題だろうか?

それを考える上で、先週発表された、完全失業率と物価指数の推移に注目してみよう。

以下、その主要項目。

(失業率)
・6月 完全失業率(季節調整値): 5.4%/完全失業者数: 348万人
-2003年4月に記録した過去最悪の5.5%に迫る
-就業者数は前年同月比151万人減と過去最大の落ち込み(6,300万人)
-製造業や建設業で落ち込みが激しい
-生産活動の縮小などに伴う「勤め先都合」の失業者が121万人と最も多く、定年や自己都合を上回った。

・6月の有効求人倍率(季節調整値): 0.43倍(2カ月連続で過去最低を更新)

(物価指数)
・消費者物価指数: 前年同月比1.7%低下
-消費者物価が大きく落ち込んだ最大の要因はガソリン価格の減少が大きいが、石油製品や電気代などの特殊要因を除いた内閣府試算の総合指数(コアコアCPI)は6月に0.4%低下し、2カ月連続のマイナスに

やはりというか、失業率の悪化と緩やかなデフレの進行が確認される結果となった。

そこで、企業業績の回復の指標として株価をとり、今年に入ってからの各々のデータと比較したグラフを作ってみた。



まず、日経平均株価と失業率のグラフだが、完全にその足並みがそろっていることがわかるだろう。やや専門的になるが、両者の相関関数は+0.89でポジティブな相関がみられる。

言い換えると、リストラの進行が企業の業績を押し上げるという構図だ。

これを物価指数との関係でみると、下記のようになる。



失業による所得減少の影響が、モロに効いていると解釈できる。

しかも5月以降の消費者物価指数の下がり具合はかなり極端だ。

通常、消費者物価指数の先行指数として、企業物価指数が用いられるが、それと比較するとこうなる。



ここから読み取れるのは、さらなる物価下落の兆候が見られるということ。

単純には比較できないと思うが、企業物価の1月時点を消費者物価の4月と重ね合わせて単純計算すると、消費者物価は7月以降の約半年感で3%前後下がってもおかしくないようにみえる。

以上から見えてくるのは、人員削減を通じた企業の業績回復とおよび本格的なデフレ時代への逆行である。

さらに、下記のグラフを加えて考察すると・・・



株価と企業物価の完全な逆行状態が見て取れる。

先週の日経ヴェリタスを見るに、この現象は中国でも見られ、上海総合指数と卸売物価が完全に逆相関となっていた。

ヴェリタスの記事では、この中国の状況について、原油価格の下落要因以外に、投資急増による過大設備による需給ギャップが原因とみて、今後の実体経済への不安要因を指摘していたが、日本も同じ状況にあるといえないか。

まとめると、4-6月期の企業業績の回復においては、様々な要因のうちのひとつが人員削減であり、その効果は自動車・電機など製造業において顕著。

ただし、以前、物価は下がり続けているため、設備の過剰感は拭えず、このため、単純に企業業績が上向くとは予想しづらい要因となっている。
(日本株への投資は要注意か?)

言い換えると、やはり、いままでの産業の枠組みで景気回復は難しいということか。。。

やはり、新しい経済の「エンジン」を考えねばならない。

K

2009年7月25日土曜日

こんなときだからこそ望まれる新たなビジネスとの関わり

昨日、内閣府が作成した経済財政白書が提示された。

1年に1度、日本経済と財政に対する現状を分析、政策面に貢献することを目的に発行されるものであるが、この内容がなかなかすさまじい。

具体的には、

・ 今年1~3月期に、実際の生産に見合った水準を超えて抱えている「過剰雇用者」は過去最多の607万人

・ 雇用者全体(約5,100万人)のうち、3人に1人は非正規社員(約1,700万人)

・ 非正規雇用の増加を主な理由に「正規と非正規との間には生涯所得で約2.5倍の格差がある」

などなど。

こういった雇用不安は、日本経済に深刻な打撃を与える見込みで、日本経済の需要不足は、年間45兆円に上り、「09年以降の基調的物価を大きく下落させる恐れがある」として、デフレが深刻化することへの懸念を示した。

この年間45兆円の需要不足のインパクトであるが、現在、日本の国家予算の支出は、一般会計と特別会計の重複を除くと、214兆円といわれている。

言い換えると、今、直面しているのは、国全体の予算規模の2割強の需要がなくなろうとしており、その規模たるや、国会で審議される対象となる一般会計の一部(37兆円)よりもはるかに大きいものなのだ。

ちょっとゾッとするような内容だ。

いつもと変わらない景色のなか、会社に勤める毎日を過ごしながらも、環境は明らかに悪化しており、働く人の半数近くは不安定な雇用環境に置かれ、年金不安や住宅ローン返済のために消費を削り、将来への不安のなかで過ごしている・・・来年、成人式に参加する年頃の人たちが生まれた時代に、日本がこんな不安定な社会になると誰が予想できただろうか。

この白書では経済回復の処方箋として、個人消費の拡大による内需拡大と、外需依存型である日本経済の特徴を鑑み、新興国の経済成長を念頭に外需拡大も目指し、「双発エンジン」による回復が想定しやすいとしている。

言い換えると、雇用者所得の下支えのために輸出産業が推進役を担うと見ているようだ。

ただ、この方程式は金融危機前の日本のビジネスモデルと変わらない。

白書でも総括しているが、結局、この不景気は、「世界的な貿易の縮小から自動車やIT製品などの輸出が大幅に落ち込んだこと」によるものなのだから、同じビジネスモデルを採用していたら、回復も難しいだろうし、同じような経済危機には対応ができない。

かの「創造的破壊」を説いたJoseph A. Schumpeterは、新しい経済活動のスタイルを築くイノベーションの創造には、起業家(=Entrepreneur)が重要な役割を担うと主張した。

その教えに倣えば、今までの雇用形態や会社形態の延長線上に解を得るのは難しく、むしろ、会社-個人、社会-個人、個人-個人の関係を一から見直し、新しい事業参画形態、及び社会参画形態を基礎に据えるべきではないかと思う。

事実上、終身雇用の継続が難しいなかで、なぜ、会社の従業員でなければならいのだろう?

個人で会社を起業し、いままで働いていた会社と業務委託契約を結ぶようなかたちもあっていいではないか。

正社員であっても、非正規社員であっても、解雇されるときは解雇されてしまうのだから、業務委託契約だからといって、一方的に不利ともいえないだろう。むしろ、税金面でのメリットを享受できる。

ここら辺の内容は、橘玲氏の近著「貧乏はお金持ち」に詳しいので、興味のある方には、購読をお勧めしたい。




別の見方をすれば、極めて小さい会社・組織のほうが社会の環境変化への感度も高まるであろうから、イノベーションも活発化するに違いない。

一見すると、悲劇的な状況に見えかねないほど、厳しい環境だが、非効率な会社組織から有為な人材を社会に発掘する、またとない機会かもしれない。

そんな機会にチャレンジしてみるのも、また、一考というものだろう。

K

2009年7月19日日曜日

「スマート消費」-「The Rise of the Rich」-Entrepreneurship

既にご覧になられている方もいらっしゃると思うが、17(金)より日経新聞では、「スマート消費が来る」というタイトルで、経済危機後に顕著になってきている新しい消費スタイルを紹介している。

これまでの教科書に代わって使われる、アマゾン・ドット・コムの電子書籍端末「Kindle DX」、話題の村上春樹著「1Q84」の上巻を新刊、中古で売りわけるフタバ図書TERA、カーシェア世界最大手のジップカーなどの事例が紹介されている。

また、第1回となる17日(金)の記事で、豊かさを手に入れた後は「所有より効用が重要になる」とする、仏経済学者 ジャック・アタリ氏の論説(「所有の歴史」)も紹介された。

一方で、昨日の記事では、そのような消費トレンドを裏付けるデータとして、日本の大手企業の売上高を危機前の2008年3月期と10年3月期予想を比較し、自動車の売上高は35%、電機は21%の減少としている。

この特集記事の印象が頭の片隅に残るなか、昨日、経済史について意見を交わす機会があった。

主要なテーマのひとつとして、New Liberalism、Political Economy、という2つの軸で経済動向を分析する手法が紹介され、前者はFinance Capital(金融資本)/Small State主導(=小さな政府)・Middle Classの地位低下、後者はProduction Capital(メーカー資本)/Big Sate(=大きな政府)・Middle Classの地位向上、が顕著になるとしていた。

これらの軸は、社会情勢により行ったり来たりするとのことだったが、最近はさらに3つ目の軸として、国家・政治の枠組みを越えた、企業・個人によるmultilateralismの台頭(The Rise of the Rich)も認識される、という意見だった。

このフレームワークを使い、それでは、今の日本はどうだろう?ということを問題提起してみた。

私は、日本は輸出主導の製造業が産業の中心、基本的に政府の関与が大きいものの、昨今の派遣問題に見られるように、必ずしもMiddle Classの地位が安定しているわけではない、という認識の下、これら2つの軸における状況はきれいに分けづらいのでは?と問題提起を行った。

それに対して、日本はPolitical EconomyからNew Liberalismへ移行期ではないか、との意見が寄せられ、妙に合点がいった。

中国・韓国・台湾・インドなどアジア系新興国が労働集約を武器に、製造業において攻勢をかけるなか、このまま、日本の輸出製造業主導の経済が見直されないわけはない。

そうしたなか、かつてアメリカがそうだったように、New Liberalismが台頭し、製造業のような資産・人的資本中心の社会から、規制緩和などを通じた、金融資本中心の社会となり、持てるもの・持たざるものの格差が広がってしまう、というシナリオが全くあり得ないと言い切れるだろうか。

前段の事例は、その兆候と見れなくはない、という想いが重なり、なおのこと、合点がいってしまったのだ。

ただ、昨日の議論では、そのやり取りの前に、New Liberalism、Political Economyの間の行き来のなかで、その兆候を個人として取り込めれば、The Rise of the Richの一員として、個人が活路を見いだすことも可能ではないか、という意見があった。



その第3の軸が個々人のライフスタイルにうまく反映できれば、これはこれでHappyではないかという気もした。

名の通った会社でも、政治・行政でもない、それら既存組織・団体ではない、個人が社会に働きかける社会。

かつて、Peter F. Druckerは、Innovationは、既存の枠組みで縛られた大企業ではなく、小規模な組織・団体で促すべしとし、Entrepreneurshipの重要性を「Innovation and Entrepreneurship」(翻訳タイトル「イノベーションと企業家精神」、ダイヤモンド社)で説いた。




1985年の著書ということだから、まさしくレーガンの新自由主義政策が推進、小さな政府が標榜され、経済では日本メーカーの台頭により製造業の凋落が始まり、金融へのシフトが始まりだした、ちょうど歴史的な転換期のなかの著書であった。


経済・政治の落ち込みとともに、個人の生活が息詰まるのではやりきれない。個々人の小さい活動の積み重ねから、大きな変化・トレンドを生み出せるようにできないものか。

環境への依存心が強くてもいけないが、日本が、今、確実に個人の生活が重視される社会に動きつつあることを願いたい。

K

P.S.
以後、また、機会があれば、「The Rise of the Rich」についてこのBlogでふれていきたい。

2009年7月14日火曜日

夏野さんの「新陳代謝」に関する課題意識

NTTドコモで、iモードを立ち上げに尽力された、夏野さんの寄稿をWeb(「夏野剛のネオ・ジャパネスク論」)で見つけた。


iモード事件

タイトルは「若者にチャンスを オジサンに勇気を 日本には新陳代謝を」。

閉塞感伴う若者層に活気をもたらすのは、シニア層の勇気ある撤退とする、夏野さんの意見は、私の持論とも通じるところがある。

変化も早く、競争も激しい携帯電話の世界で生き残ってこられただけに、馴染みやすい表現の端々から、手厳しい意見が伺える。

印象に残るフレーズをいくつか挙げてみよう。

・「若い世代に与えられているチャンスは圧倒的に限られていると思う。現在の就職の難しさ、資金調達の困難さ、経済情勢の厳しさは、これまでの日本の若い世代に与えられてきた環境としては最も劣悪であろう」

・「一方で、判断を先送りにしたり、変革や進化への熱意を失ったりしているオジサンが社長の座につくことはいまだに例外ではない。つまり、若者にもっとチャンスを与えることが、機会均等になるだけではなく、日本の成長につながるのではないかと私は考えている」

・「え、どうやってチャンスを与えるかって?それはひとえに古い世代の方々が勇気を持って、若い世代に機会を分け与えるしかないでしょう。勇気を持って、自分のやり方が通用しないことを認め、一歩引いて新しい世代に任せることでしょう」


私の課題意識に近い表現でいえば、これは夏野さんなりの世代間格差への回答なのだろうと思う。

特に技術革新が目覚ましいIT業界にいらっしゃって、過酷な「新陳代謝」が行われる業界だけに、「新しい技術のことはよくわからなくって、とか、いまどきの消費者は何を考えているのかわからん」と平気で言ってのける経営層を信じられない思いで見てきたのだろう。

今回の寄稿では、経営層が対象になっているが、そもそも経営者自身が会社にもたらす経営インパクトはかなりのものであろうから、言い換えると、これは日本の会社の課題とも言える。

この記事を見て、ふと思い出したことがあった。

4~5年前に、あるきっかけでシリコン・バレーのトップクラスのIT企業のエグゼクティブを調査する機会があった。

その調査をして偶然にも気付いたことは、CEOがみな50歳に満たない40代経営者だったこと。その後、時を同じくして、彼らは一線を退くことになるのだが、それがちょうど50歳になる年だったのも、さらに驚いた。

そのときの経営者で、今でも、采配を振るうのは、AppleのSteve JobsやCiscoのJohn Chambersなど多くはないので、IT業界では、50歳を過ぎてトップを続けるケースはほぼ皆無といっていいのかもしれない。

当時、各CEOの略歴を確認して気付いたのは、創業者以外、みな40代前半で会社の要職につき、40代後半でトップになるパターンがほとんどだったことだ。

片や、日本でその年代では出世組でも部長になるのがせいぜいだろう。

これだけ見ても、日本の経営者は周回遅れも甚だしく、体力・気力という基礎的要素だけでもハンディを負うのは明らかだ。

グローバル化の影響で、時差で業務時間は不規則、多様なニーズへの理解と英語を中心にした複数言語の対応が必要、などなど経営者に求められるものは、年々、多様化し、増しているのだが、そんな環境では、60歳を挟んだ年齢の経営者がついていくのが大変、というのは想像に難くない。

また、トップがその年代ならば、周囲を取り囲む人材の年齢層も近くなり、自ずとその年齢層への配慮からその年代層の数は膨らむ。

一方、役職が2~3階層も下で年もひと回りもふた回りも下の年代を構っている余裕はシニアな経営層にはなく、株主からは短期間の成果を迫られると同時に、引退まであと何年と秒読みに入っている経営層が、10年、20年後の将来像やビジョンが描けないのは無理もない。

大過なく、○○会社の社長を終えたい、というのが本音なのではないか。

でも、これでは、人口減少社会となり、低成長の日本は支えられないのではないか。

だからこそ、経営層の若返りが必要だと思うのだが、その際、よく言われる批判は、「経験不足」だ。ただ、ここでいう「経験」とは何であろう?

そもそも自社の関わる環境も認識できず、顧客のこともわかっていない経営者の「経験」とはなんだろう?

とどのつまりは、社内調整の「経験」ではないか。

それが加速すると、益々、社内にしか目が行かない「内向き」経営となり、周りからはどんどん取り残されていく。

同時に、会社の経営が長くなればなるほど、自身のポジションに固執し、変化を望まない層が固定化して「抵抗勢力」化する。

この結果、専門用語でいうところの「組織の硬直化」が起こる。

となれば、「新陳代謝」を促すには、その行司役を市場に任せることを前提に、新たに新興勢力を生み出すほうが効果的だと思うが、いかがだろう?

私はそのチャンスはあると考えていて、そのひとつに、起業形態として社会的起業(Social Entrepreneur)が注目されだしたことはいい兆候だと思う。

事業の実態が伴わず、「カネがカネを生む」バブル的な起業とは異なり、事業としての損益を尊重しつつも、社会に貢献する実態に事業価値を見出し、様々なステークホルダーを巻き込んでいく姿勢には、自身のポジションを堅持することに何よりも価値を置く抵抗勢力とは異なるモチベーションを感じる。

日本の場合、このような新興企業が活発化しない理由として、金融機関からの融資の難しさと共に、(既存事業を守る)複雑な規制が阻害するケースが多いとも聞く。

それを解消し、新しい勢力を誕生させる手助けをするにはどうすればいいか?

いろんな方法があると思うが、昨今、話題となり、しかも手軽にできるのは選挙に行って、その実現にひと汗流してくれそうな政治家に一票を投じるということだ。

その意味で、今度の衆院議選挙はとても大事である。

それは、麻生さんにとってとか、自民党にとってとか、ではなく、明日の我々の生活を問う選挙であるからだ。

投票の基準は人によって様々であろうが、そろそろ深刻な課題が浮き彫りになってきている、世代間格差を正面から取り組もうとする候補者に一票を投じるのも一考かと思う。


K

2009年7月12日日曜日

映画「ハゲタカ」

引越しを行ってからというもの、生活パターンにいろいろと変化があるが、映画鑑賞もそのひとつだ。

今の住居に来る前も歩けるくらいの距離に映画館はあったのだが、ここ1カ月の映画鑑賞の程のペースではなかった。

何より、土曜の夜のレイト・ショウがいい。

場所が近いので最終電車を気にしなくていいし、お客さんが少なくて空いている、そして、若干ではあるが料金も安い。それに公開終了間際だと話題作もレイト・ショウになる。

そういう理由もあって、昨日の晩、「ハゲタカ」を観に行った。

上映時間に余裕があると思い、食べ物を映画館に持ち込み、入場したものの、既に予告編が始まっており、両側の席に囲まれながら(おばさま方に・・・)、「お好み焼き」を頬張る様はなんとも間抜けではあったが・・・

そんななか、映画「ハゲタカ」は始まったが、これが面白かった。

正直なところ、よく書けた脚本だと思った。

「ハゲタカ」は金融を題材にした人間模様である。

そのなかで描かれる人間模様は、なかなか秀逸だと思う。

人間模様は、レベル感を別として、登場人物の「立ち位置」に違いがないと成り立たない。

だから、ドラマの善し悪しは、その「立ち位置」の置き方、それを生み出す環境や背景、登場人物の性格の表現さ加減、などで変わるのではないか。

観る人の共感を得るには、その時々の時代背景が微妙に織り込まれていなくてはならず、時代背景の切り取り方を間違えると、共感が得られなくなる。

そういう意味では、映画「ハゲタカ」の舞台設定と人物設定は絶妙だった。

ファンド vs. 事業会社、経営者 vs. 派遣労働者、日本 vs. 中国、シニア層 vs. 若者層…いずれも今の経済環境の観点でSensitiveなものばかりである。

何はともあれ、日本のメディアで、こういう話題を臆することなく、取り上げることに敬意を表したい。

漠然と意識している課題認識に、なんらかの糸口を与えるものになると思うからだ。

映画のなかで重要な役割を担う「赤いハゲタカ」劉一華は、ある派遣労働者に、これまでの雇用環境を守らなければならないシニアのために、会社は若者に向けて派遣を取り入れた、というようなことを言う。

これを聞いた瞬間、ようやくこういう現実が、メディアで取り上げられるようになったか、と感慨深くなった。

私がそういった認識を知ったのは、産業再生機構のCOOだった冨山さんの講演を聞いた2005年だ。

それ以来、いろいろなニュースで見聞きしながら、また、自分の会社で経験しながら、想いを強くしているのは、今の日本の大きな課題の一つが「世代間格差」だということだ。

よき父、よき管理者、よき親戚たる、シニア層は、自分の立場を守らなければならないので、そんな格差を何も好き好んで話題には出さない。

それが色濃く反映しているのが政治の世界だろう。

一方で、そんな世代が旧態依然として居残っていることを知らされていない、20代~30代前半の世代は、今の厳しい雇用環境が自分にのしかかる試練としてとらえているかもしれない。

でも、その試練は人為的なものである。シニアの雇用を守るために、若者層の雇用環境が厳しくなっているのである。

こういった話題は、あまりマスコミでは取り上げられなかったように思うが、だからこそ、金融モノに収まらず、そういった課題にまで言及する包含した、映画「ハゲタカ」はなかなか秀逸だと思うのだ。

まだ、上映期間はあるようなので、興味を持たれた方は、ぜひ、ご鑑賞いただければ幸いである。

K


NHK DVD ハゲタカ DVD-BOX / 大森南朋


ハゲタカ(上)


ハゲタカ(下)


ハゲタカ(2 上)


ハゲタカ(2 下)


ハゲタカ サウンドトラック

2009年7月5日日曜日

債務超過に陥る30代 ~不安的な環境にどう臨むか?~

先週、日銀短観が発表された。

短観に対するマスコミ各社の反応を見るに、景況感は大底を打って持ち直しているという見方だった半面、設備や雇用には依然、過剰感が強まっている、という論調で報じているところが多かったように思う。

なかには、「企業は過剰感が緩和に転じると見込むが、設備投資の抑制や人件費削減はさらに強まる恐れもある」(7月1日 ブルームバーグ)の見方を示すところもある。

先週、このブログで物価と雇用の関係から今後も厳しい雇用状況が続くとお話ししたが、この短観の内容は、雇用環境の厳しさが裏付けられたような格好で、いささか複雑な心境だ。

そんななか、並行して、日経新聞では、「家計の選択」という特集記事が組まれた。
(日経新聞を読み返されるのもいいが、「金さんのセカンドライフ自立への道」というサイトでは各記事がJPEG形式で読めるようになっている)

その記事から、もはや貯蓄性向の高い日本人という姿がなくなりつつある現状がうかがい知れる。

不安定な雇用を反映して消費を手控える若者層の姿(「シンプル族」)や、実質的に親子孫で住居などもまとめて「連結」する家族、やや行き過ぎたものだと、なけなしの金利に満足できず、「貯金頼みも限界」として高リスク・ハイリターンを目指す20代の女性の運用の姿なども描かれている。

日経新聞をはじめ、マスコミ各社の悪いところは、変化する経済・金融の実情・実態を考慮せず、金融機関の押し売りに歩調を合わせたかのように、「貯蓄から運用へ」のようなキャッチ・フレーズで、リスク・マネーにお金を向かわせようとするところである。

往々にして、このような煽りを受けて、リスクに無自覚なまま、お金をつかうと、多大な被害にあう。

その記事のなかで、私が胸を痛めたのが、住宅ローンの返済に追われる30代のサラリーマンの姿である。

 『「残業がなくなって返済が困難になった」。東京・杉並の日本司法支援センター(法テラス)のコールセンター。相談の中心は30~40代だ。5月は住宅ローン返済にかかわる相談件数が前年同月から約6割増えた。』(2009/06/30、「家計の選択(下)揺らぐ「国富の8割」―閉塞打破は資産活用から」、日本経済新聞 朝刊)

5月に相談が増えたのは、予想外のボーナスの減額にあわてたからであろうか。

さらに、純貯蓄は減り、「債務超過」となった働き盛りの姿は赤裸々に語られる。

 『住友信託銀行によると、勤労者世帯の貯蓄から負債を引いた純貯蓄は2008年で588万円と10年前に比べ2割減。30代に限れば、純貯蓄が77万円のプラスから157万円のマイナスとなった。マイホームを手に入れるなら、若くて、金利も低い今のうちに――。こんな判断をした働き盛り。雇用や所得への不安で「借金も財産のうち」とは言いにくくなった。』(2009/06/30、「家計の選択(下)揺らぐ「国富の8割」―閉塞打破は資産活用から」、日本経済新聞 朝刊)

貯蓄から負債を引いた純貯蓄は若い世代ほど多くなっているという。各世代の純貯蓄の推移は以下のとおり。

30代: 77万円(1998年)→マイナス157万円(2008年)
貯蓄現象の要因: 最大の要因は住宅取得。30代で住宅ローンを借りている人の割合は「08年に37.9%と00年代に入って6ポイント強上昇した」(住友信託銀行)。
 
40代: 464万円(1998年)→242万円(2008年)
貯蓄現象の要因: 住宅取得などで負債が増える一方、子供の教育にお金がかかる時期にあたることも貯蓄水準の下押し要因に

50代: 1,280万円(1998年)→1,075万円(2008年)
貯蓄現象の要因: (日経新聞での言及はなし)

もちろん、各世代ともに10年経てば年をとるので、2008年の40代は10年前の30代であり、これも世代間ギャップが反映されているといえるだろう。

言い換えると、バブル期以前に社会人になっていた世代は純貯蓄を保ち、バブル崩壊後世代は、債務超過に陥っている、と。

その要因は、雇用の不安定が増すなか、バブル期以前に入社した世代に倣い、低金利というベネフィットのみに目を向けて多大な借金までして住宅を取得したことによるという。

しかも、住宅ローンを借りている30代の人の割合が2000年に比べて増えている。

一方で現実に目を向ければ、冒頭の短観ではないが、この先、しばらくは雇用環境は上向かないだろう。

5月に住宅ローン返済に関する相談件数が6割も増えるくらいだから、恐らく30代を中心に、住宅ローンによる債務超過の問題が顕在化するに違いない。

その時を見越して、どう予防線を張るか?

結婚して所帯をもっている人はお金を持つ両親世代との同居で生活を「連結」してしまうのがベターであろう。

貯蓄に余裕のある世代と一緒になることで経済的にも負担が共有できるし、老人介護という観点からも、一定の合理性があると思われる。

生活が落ち着いたならば、親と同居というのも悪くないだろう。

ならば、単身世帯はどうするか。

ルーム・シェアなんかどうであろう?気心のあった人と一緒に住居を賃貸する。

経済的な負担もあるが、昨今の自殺が増加している原因は人との関係の希薄化だと思う。孤立化は避けなければならない。

私も社会人になって大学院で勉強したときは寮生活に戻った。

当初、30歳を過ぎて寮生活なんて、プライバシーは保てないし、拘束されることが多くなるのではと懸念したが、実際はそれほどでもなく、むしろ、気軽に話ができる環境が快く感じた程だった。

そんな人と人とのつながりが「緩めに」拘束される環境がひとつの解になる気がする。


K

2009年6月28日日曜日

モノの価格から見えてくること

26日付けのFinancial Timesに久しぶりにAlan Greenspan氏の寄稿文が紹介されていた。

氏は、そのなかで、米国は(2010年へのずれ込みも示唆しつつ)これから数カ月のうちに住宅価格の安定で金融危機が終結するだろうと述べるとともに、今後の景気回復を占ううえで、インフレが景気回復に悪影響を及ぼす可能性があることを示唆している。

資産インフレによる株価回復を見通す一方で、ここ最近の米政府の支出拡大、大量のマネーサプライの動きがなんらかの政治的圧力により短期的に阻止されることがあれば、インフレを引き起こす、と警鐘を鳴らしているわけだ。

興味のある方は、無料でアクセスできる記事のようなので、ぜひ、アクセスしていただきたい。

ブルームバーグでは日本語で短い解説をしている。


この記事と前後して、総務省は、5月の消費者物価指数を発表、日本ではデフレ傾向への警戒感が強まっているようだ。

総務省発表の概況:

1. 総合指数は平成17年を100として100.6となり,前月比は0.2%の下落。前年同月比は1.1%の下落となった。

2. 生鮮食品を除く総合指数は100.5となり,前月比は0.2%の下落。前年同月比は1.1%の下落となった。

3. 食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数は98.9となり,前月と同水準。前年同月比は0.5%の下落となった。

日経新聞と毎日新聞のコメントからメディアはどうみているかを確認したい。

(日経新聞)
・ 消費低迷で物価が下がり続ける「デフレ」懸念が強まっている。

・ 値下げには消費喚起の効果がある。ただ原材料費などが下がらなければ、企業は身を削った価格競争を迫られる。(中略)収益悪化が賃下げなどにつながり消費が縮めば、物価下落と景気悪化が連鎖する恐れがある。今後も物価が下がると消費者が予測すれば“買い控え”が起こり、経済活動が滞る。

・ BNPパリバ証券の河野龍太郎氏は「その後も1%を超えるマイナス幅が続く」とみる。

・ 日本総合研究所は消費者物価が2009年度、10年度と2年連続でマイナスと予測している。長引く物価下落は、持ち直しの動きが見える国内景気を下振れされる不安要因でもある。

(毎日新聞)
・ 与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は閣議後会見で「日本経済が底割れしないように、またデフレスパイラルに陥らないように注意深く経済運営を行わないといけない」と、物価下落の拡大傾向に懸念を表明。

・ 5月の消費者物価指数が過去最大の下落幅となったのは、昨年夏まで史上最高値の水準で推移していた原油価格が大幅に値下がりしたことに加え、消費不振の長期化で「値下げしないと売れない」状況に陥っているため。

・ 内閣府によると、日本経済全体の需要と供給の差を示す「需給ギャップ」は09年1~3月期、過去最大の45兆円(年率換算)の需要不足を記録。モノの生産に対して個人消費などの需要が追いついていないことを裏付けた。

・ 解消には消費を伸ばすか、過剰な生産を減らすしかない。政府は、定額給付金やエコポイントなど消費刺激策を繰り出しているが、08年秋以降の企業業績の急激な悪化を受け、今夏のボーナスは前年比大幅減となる見通しで、家計の財布のひもは簡単に緩みそうにない。企業が減産の動きを再び強めれば、リストラなどの雇用調整は避けられず、肝心の需要をさらに冷やすことになりかねない。

・ 民間エコノミストの間では「デフレが企業収益を圧迫し、雇用縮小、所得と消費の減退につながる悪循環に入り込む」との見方も根強い。


アメリカでは中途半端な景気対策がインフレを引き起こし、景気回復に悪影響を及ぼすといい、日本では今年に入ってからの需要不足がデフレ傾向を招いているという。

言い換えると、アメリカではここ最近の経済対策に一定の効果を感じているのであろう。

一方、日本のほうは経済対策の効果そのものが、まだ、機能していないというのが実態であろうか。

ただ、各国との経済対策を比較して、日本の対策規模が小さいわけではなさそうだ。

先週のブログで紹介した、「平成21年版通商白書概要」(P7)によれば、昨年度分の補正予算と今年度の予算規模だけでみれば、ここ最近経済の好転が確認されている中国やアメリカなどよりずっと大きな対策予算が組まれている。

毎日新聞も触れている定額給付金やエコポイントなど、これからその効果が確認されるであろう対策もあるので、今後、政府の対策が効いてくるという見方もできるかもしれない。

ただ、こと日本のデフレ問題に関しては、先の新聞各紙のコメントのように見通しは明るくない。

今回の新聞社のコメントを確認しつつ、その原因を考えると、日本では雇用に対して有効な対策が打たれていないと感じずにはいられない。


恐らく、今回の夏のボーナスが昨年に比べ、上がったところはほとんどないだろう。

働く側からすれば、今の職場のポジションがどう確保できるかのほうがより緊急度が高いのではないだろうか。

賃金は上がらず、しかも、雇用が安定しないなか、消費を上向けるのは、経済理論の原則からすれば無理な相談である。

理論上、賃金が上がらなければ、モノへの需要も伸び悩み、モノの値段も上がらない。

デフレを生み出す原因の一つはこの流れに原因がある。

モノの価格が下落しているから、生活が楽になるわけではない。

今回のこの環境下では、価格が下落している理由は雇用環境が悪化していることの裏返しであると捉えるべきである。

先の新聞の記事では、今後もデフレ傾向が続くという見方が大勢だという。

言い換えると、雇用環境の好転も望めない、とみている専門家が多いということでもある。

これからの生活設計をどう考えるべきか、悩みどころですね。

K