2009年8月16日日曜日

Bottom-upから考えるNew Economy(1)

前回のブログでは、衆議院総選挙が今月末に迫っていることもあり、日本経済を俯瞰して捉え、政治と経済の関係から次の日本経済のエンジンを考察してみた。

昨今、特に脚光を浴びている農業と新エネルギー事業については、日本が資源に乏しい国であることともに、産業としてのインパクトの大きさから、ある種、「インフラ」事業として政治課題として取り組むべし、という内容でまとめた。

今回からは、より身近な生活者の目線からNew Economyを考えてみたい。

特に社会参画という意味での我々のワークスタイルについてどう取り組むかは大変重要なことだと思う。

特に20~30代前半といった若い世代の雇用を生み出す事業がどうあるべきかは緊急の課題である。

確かに、政治や経済といった大局的な観点でみれば、農業や新エネルギー産業は大事かもしれない。

しかし、その基盤整備ができ、食べ物やエネルギーの心配がなくなったからといって、それらの事業が今までの製造業が生み出してきたような雇用機会を生み出すとは限らず、機械・設備などの技術発展により、むしろ、生産性が上がり、働き手が不要になることも考えられる。

例えば、最近、流行のスマートグリッドが普及したら、今の電力会社が必要としている労働力と同じだけの労働力が必要になるだろうか?

そんなハイテク・インフラがあるのに、電気の検針を人が一軒一軒検査する状況など考えられない。

また、農業にしてもしかりで、作付面積が広くなった畑や田んぼでは、農地が増えれば、人では必要になるであろうが、その分、生産性を上げようと必死になるだろうから、今の農作物のアウトプットに掛かる労働力よりも、少なく済んでしまうのではないだろうか。

日本はこれから少子化社会を迎えるが、問題はその少なくなる労働力と生み出す雇用がどうバランスするかで、結果的に労働機会が少なくなってしまっては元も子もない。

技術の進化によって、益々、生産性が上がることになることは間違いないし、単純な労働であれば、中国をはじめアジア各国で請け負うことが可能となるので、今までの延長線上で、雇用を考えてはならない。

そのいい例がアメリカだ。

技術発展により、どんどん人手が掛からなくなるなか、製造業は、中国、インド、メキシコなどに工場を移転、本国に、労働集約的な雇用機会は残らなくなった。

その結果、スキルを必要としない労働については、移民も加わって競争が激化、益々、賃金が上がらなくなる。

こうして資本家や経営者は富み、労働者の収入は限られる格差社会が、堅固になっていく構図が鮮明になる。

日本も既にその兆候が見られるが、今の状況を放置したら、世代間で雇用機会や賃金に生じる格差以上の状況になるのではないか。

極論すれば、富める資本家・経営者が、移民やアウトソーシングを使って事業を行うような社会というのもあながち的外れではないかもしれない。

だから、生活者目線からNew Economyを考えることに意義があるのだと思う。

前置きが長くなったが、次回のBlogで本論に移ろうと思う。

K

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