iモード事件
タイトルは「若者にチャンスを オジサンに勇気を 日本には新陳代謝を」。
閉塞感伴う若者層に活気をもたらすのは、シニア層の勇気ある撤退とする、夏野さんの意見は、私の持論とも通じるところがある。
変化も早く、競争も激しい携帯電話の世界で生き残ってこられただけに、馴染みやすい表現の端々から、手厳しい意見が伺える。
印象に残るフレーズをいくつか挙げてみよう。
・「若い世代に与えられているチャンスは圧倒的に限られていると思う。現在の就職の難しさ、資金調達の困難さ、経済情勢の厳しさは、これまでの日本の若い世代に与えられてきた環境としては最も劣悪であろう」
・「一方で、判断を先送りにしたり、変革や進化への熱意を失ったりしているオジサンが社長の座につくことはいまだに例外ではない。つまり、若者にもっとチャンスを与えることが、機会均等になるだけではなく、日本の成長につながるのではないかと私は考えている」
・「え、どうやってチャンスを与えるかって?それはひとえに古い世代の方々が勇気を持って、若い世代に機会を分け与えるしかないでしょう。勇気を持って、自分のやり方が通用しないことを認め、一歩引いて新しい世代に任せることでしょう」
私の課題意識に近い表現でいえば、これは夏野さんなりの世代間格差への回答なのだろうと思う。
特に技術革新が目覚ましいIT業界にいらっしゃって、過酷な「新陳代謝」が行われる業界だけに、「新しい技術のことはよくわからなくって、とか、いまどきの消費者は何を考えているのかわからん」と平気で言ってのける経営層を信じられない思いで見てきたのだろう。
今回の寄稿では、経営層が対象になっているが、そもそも経営者自身が会社にもたらす経営インパクトはかなりのものであろうから、言い換えると、これは日本の会社の課題とも言える。
この記事を見て、ふと思い出したことがあった。
4~5年前に、あるきっかけでシリコン・バレーのトップクラスのIT企業のエグゼクティブを調査する機会があった。
その調査をして偶然にも気付いたことは、CEOがみな50歳に満たない40代経営者だったこと。その後、時を同じくして、彼らは一線を退くことになるのだが、それがちょうど50歳になる年だったのも、さらに驚いた。
そのときの経営者で、今でも、采配を振るうのは、AppleのSteve JobsやCiscoのJohn Chambersなど多くはないので、IT業界では、50歳を過ぎてトップを続けるケースはほぼ皆無といっていいのかもしれない。
当時、各CEOの略歴を確認して気付いたのは、創業者以外、みな40代前半で会社の要職につき、40代後半でトップになるパターンがほとんどだったことだ。
片や、日本でその年代では出世組でも部長になるのがせいぜいだろう。
これだけ見ても、日本の経営者は周回遅れも甚だしく、体力・気力という基礎的要素だけでもハンディを負うのは明らかだ。
グローバル化の影響で、時差で業務時間は不規則、多様なニーズへの理解と英語を中心にした複数言語の対応が必要、などなど経営者に求められるものは、年々、多様化し、増しているのだが、そんな環境では、60歳を挟んだ年齢の経営者がついていくのが大変、というのは想像に難くない。
また、トップがその年代ならば、周囲を取り囲む人材の年齢層も近くなり、自ずとその年齢層への配慮からその年代層の数は膨らむ。
一方、役職が2~3階層も下で年もひと回りもふた回りも下の年代を構っている余裕はシニアな経営層にはなく、株主からは短期間の成果を迫られると同時に、引退まであと何年と秒読みに入っている経営層が、10年、20年後の将来像やビジョンが描けないのは無理もない。
大過なく、○○会社の社長を終えたい、というのが本音なのではないか。
でも、これでは、人口減少社会となり、低成長の日本は支えられないのではないか。
だからこそ、経営層の若返りが必要だと思うのだが、その際、よく言われる批判は、「経験不足」だ。ただ、ここでいう「経験」とは何であろう?
そもそも自社の関わる環境も認識できず、顧客のこともわかっていない経営者の「経験」とはなんだろう?
とどのつまりは、社内調整の「経験」ではないか。
それが加速すると、益々、社内にしか目が行かない「内向き」経営となり、周りからはどんどん取り残されていく。
同時に、会社の経営が長くなればなるほど、自身のポジションに固執し、変化を望まない層が固定化して「抵抗勢力」化する。
この結果、専門用語でいうところの「組織の硬直化」が起こる。
となれば、「新陳代謝」を促すには、その行司役を市場に任せることを前提に、新たに新興勢力を生み出すほうが効果的だと思うが、いかがだろう?
私はそのチャンスはあると考えていて、そのひとつに、起業形態として社会的起業(Social Entrepreneur)が注目されだしたことはいい兆候だと思う。
事業の実態が伴わず、「カネがカネを生む」バブル的な起業とは異なり、事業としての損益を尊重しつつも、社会に貢献する実態に事業価値を見出し、様々なステークホルダーを巻き込んでいく姿勢には、自身のポジションを堅持することに何よりも価値を置く抵抗勢力とは異なるモチベーションを感じる。
日本の場合、このような新興企業が活発化しない理由として、金融機関からの融資の難しさと共に、(既存事業を守る)複雑な規制が阻害するケースが多いとも聞く。
それを解消し、新しい勢力を誕生させる手助けをするにはどうすればいいか?
いろんな方法があると思うが、昨今、話題となり、しかも手軽にできるのは選挙に行って、その実現にひと汗流してくれそうな政治家に一票を投じるということだ。
その意味で、今度の衆院議選挙はとても大事である。
それは、麻生さんにとってとか、自民党にとってとか、ではなく、明日の我々の生活を問う選挙であるからだ。
投票の基準は人によって様々であろうが、そろそろ深刻な課題が浮き彫りになってきている、世代間格差を正面から取り組もうとする候補者に一票を投じるのも一考かと思う。
K
0 件のコメント:
コメントを投稿