2009年9月6日日曜日

社会的起業の事例 ~路上生活者の実情とその支援が目指す方向とは?

先週、目を通したニュースに目が離せなくなるものがあった。見出しと書き出しは以下の通り。

路上生活者:心の病深刻 失業、就職難が原因に 東京・池袋、医師ら80人調査

 路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症など何らかの精神疾患を抱えていることが、東京の池袋駅周辺で精神科医らが実施した実態調査で分かった。国内でのこうした調査は初めて。自殺願望を伴うケースも目立ち、調査に当たった医師は『精神疾患があると自力で路上生活から抜け出すのは困難。状態に応じた支援や治療が必要だ」としている』」

詳細について興味のある方は、タイトルをクリックしていただければ、記事のタイトルをクリックすればリンクが張っているのでご確認いただきたい。

この記事が読んだとき、胸が痛んだ。

巷間では経済の底打ちなどが騒がれているが、その経済の悪化に伴う社会的な歪みに目が向け、そして対処することができていないという日本社会の現実を目の当たりにしたような思いだった。

自治体や会社、そして家庭も懐事情が厳しいなか、そういった歪みに目を向けるだけの余裕がなくなっているのも無理もないようにも思う。

また、政治的な対処や自治体のフォローアップも十分でないのが実態なのだろう。

ただ、失業の憂き目と精神疾患で行き場を失い、路上生活を余議されなくなっている人がいる現実をどう捉えればいいのだろうか。

企業や政治の不十分な対応を批判するのは容易だが、しかし、今回の記事で紹介されている路上生活者にも、家族や友人、職場の先輩、同僚、近隣の住人の方もいただろうに、なぜ、そうなってしまったのかと思う。

やりきれない思いでこのことを考えていたところ、斎藤槙さんが代表を務められているASU International社のメールマガジンが飛び込んできた。

斎藤槙さんの著書『社会起業家 -社会責任ビジネスの新しい潮流-』(岩波新書)を読んでからというもの、社会的起業について、いろいろと勉強してみたいと思い、このメールマガジンを申し込んでいた。


社会起業家


このメールマガジンはアメリカでのソーシャル・ビジネスを紹介するものだが、今回のテーマは、ずばり「ホームレス支援事業」。

この記事によれば、カルフォルニア州サンタモニカ市はホームレスに優しい街ということで米国でも有名とのことで、人口一人当たりの割合で言うと、ホームレス対策費用、シェルターのベッドの数などでは全米一、とのことだった。

そして、今回、紹介されているのが、Step Up on Secondという団体の話。

Step Up on Secondは心の病を患う人たちのリハビリ施設、救済の場として1984年に設立。

設立のきっかけがひとつのドラマで、心の病を患う息子を持つひとりの女性が、息子を治したい一心で試行錯誤を繰り返し、たどりついた方法がアートセラピーや職業訓練、あるいは何かの技術を身につけるといった生産的活動を行うことによって周辺の環境を改善していくことに至り、同団体を設立したという。

現在、1,200人を超える心の病を抱える人のケアを行い、34の住居を提供しており、さらに新しいビルを建設したとのこと。この建設にあたってサンタモニカ市やさまざまな営利企業も協力を行ったと紹介されている。

入居者の条件は、ホームレスであること、そして恒常的な心の病を抱えていることで、入居は申し込み順。

記事のなかには、入居者の声が紹介されている。

「最近のLAタイムズ紙で、あるホームレスの記事が紹介されました。52歳のCraig Blasingameさんです。彼は8年間のホームレス生活の後、Step Up on Fifthにたどり着き、運良く入居することができました。

『8年間トンネルの向こう側にある光を求め続けてきました。いや、そのトンネルさえ見つけられなかったのが現実でした。でも、今では、サンタモニカの新しいアパートで、朝起きると折りたたんでしまえるベッドのベッドメーキングをするようになりました。もちろん、この8年間ベッドメーキングなんてしたことはありません』

さらに『ここは本当に僕の場所。新しい友達もできたし、楽しい思い出作りもしています』

彼は今では地元のファーマーズ・マーケット(青空市場)で週2回働いています。

『とうとうトンネルの向こう側の光にたどり着けました。ホームレス仲間の間で、言われているトンネルの向こう側の光にね。』」

今回の記事を読んで、「もうひとつの軸」が果たす重要性をしみじみと感じた。

自治体や会社でもなく、また、家族や友人とも違う、「もうひとつの軸」が果たす役割。

今回紹介されている「Step Up on Second」のような団体はその「もうひとつの軸」である。

志高い意図を持った人が設立された団体とはいえ、それまでにこのように社会との関係性を生み出すメカニズムが存在しないが故に人工的に作られたものだ。

高齢者施設と同じように捉え、それを機械的に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、生い立ち(家族・友人)や損得(会社)と一線を画すバランスのなかで成立する社会との関係もあるのでは?と感じる。

ゆくゆくは、社会との関係のなかで自立することを目指すのだから、これは日本で言われるところの奉仕とも違うだろうと思う。

ということで、社会的起業という表現がぴったりくるのだが、そういうメカニズムが早く日本でも根付くことを望みたい。

これからもこのような社会的起業について触れていきたいと思う。

K

2 件のコメント:

山田 豊 さんのコメント...

■内需拡大の原資を如何にして作るのか? -社会がなおざりにされている!?
http://yutakarlson.blogspot.com/2009/09/blog-post.html
こんにちは。日本の内需拡大に関しては、多くの識者が賛同しているところですが、なかなかその方策が見つからないというのが現状です。ましてや、その原資となると、絶望的にならざるを得ないというのが、大方の意見です。しかし、私は、日本にはその原資は潤沢に存在していると思います。さらに、内需拡大の方向性としては、産業構造の転換、社会構造の転換で十分可能と思います。特に、社会構造の転換に関しては、寄付の文化を根付けること、大規模な社会事業を本格的に実施できるインフラやシステムを整備すれば、十分可能と考えます。ここに、書いていると長くなってしまいます。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

Katz さんのコメント...

yutakarlsonさん、

こちらのBlogでコメントをいただいたのは初めてですので、大変、感謝しております。

そして、ご案内いただいたBlogも拝見致しました。

おっしゃるような社会の構造的変化は大いに進めて欲しい政策です。

私もその原資については大いにポテンシャルのあるものと察しておりますので、yutakarlson さんのご意見には大賛成です。

一方で、客観的に判断しないといけないのは、国家のバランスシート上でも「家計」の資産、および純資産が突出しているという現実です。

これは、遠い世界の、普段は接することのない資産家の持ち物も少なからず含まれているとは思いますが、想像するにその多くは隣近所に住んでいる、普段は何気なく接している、○○さんの資産の積み上げであるとも思われます。

そのような、今は現場の一線を退かれているが、すさまじい資産を持っていらっしゃる方のご協力を得られると、もっと話は早いのだろうなぁと痛感しております。

何を言いたいかといえば、自らの価値観や行動様式を変えて、社会に参画するのは思いのほか、難しいということです。

しかし、政治の世界ではその勢力図が塗り替わりました。

だから、次は我々国民側の意識の変化なのだと。

持論はこれまでとして、今後とも、よろしくお願い致します。

何かお気づきのことがあれば、気軽にコメントください。