2009年7月25日土曜日

こんなときだからこそ望まれる新たなビジネスとの関わり

昨日、内閣府が作成した経済財政白書が提示された。

1年に1度、日本経済と財政に対する現状を分析、政策面に貢献することを目的に発行されるものであるが、この内容がなかなかすさまじい。

具体的には、

・ 今年1~3月期に、実際の生産に見合った水準を超えて抱えている「過剰雇用者」は過去最多の607万人

・ 雇用者全体(約5,100万人)のうち、3人に1人は非正規社員(約1,700万人)

・ 非正規雇用の増加を主な理由に「正規と非正規との間には生涯所得で約2.5倍の格差がある」

などなど。

こういった雇用不安は、日本経済に深刻な打撃を与える見込みで、日本経済の需要不足は、年間45兆円に上り、「09年以降の基調的物価を大きく下落させる恐れがある」として、デフレが深刻化することへの懸念を示した。

この年間45兆円の需要不足のインパクトであるが、現在、日本の国家予算の支出は、一般会計と特別会計の重複を除くと、214兆円といわれている。

言い換えると、今、直面しているのは、国全体の予算規模の2割強の需要がなくなろうとしており、その規模たるや、国会で審議される対象となる一般会計の一部(37兆円)よりもはるかに大きいものなのだ。

ちょっとゾッとするような内容だ。

いつもと変わらない景色のなか、会社に勤める毎日を過ごしながらも、環境は明らかに悪化しており、働く人の半数近くは不安定な雇用環境に置かれ、年金不安や住宅ローン返済のために消費を削り、将来への不安のなかで過ごしている・・・来年、成人式に参加する年頃の人たちが生まれた時代に、日本がこんな不安定な社会になると誰が予想できただろうか。

この白書では経済回復の処方箋として、個人消費の拡大による内需拡大と、外需依存型である日本経済の特徴を鑑み、新興国の経済成長を念頭に外需拡大も目指し、「双発エンジン」による回復が想定しやすいとしている。

言い換えると、雇用者所得の下支えのために輸出産業が推進役を担うと見ているようだ。

ただ、この方程式は金融危機前の日本のビジネスモデルと変わらない。

白書でも総括しているが、結局、この不景気は、「世界的な貿易の縮小から自動車やIT製品などの輸出が大幅に落ち込んだこと」によるものなのだから、同じビジネスモデルを採用していたら、回復も難しいだろうし、同じような経済危機には対応ができない。

かの「創造的破壊」を説いたJoseph A. Schumpeterは、新しい経済活動のスタイルを築くイノベーションの創造には、起業家(=Entrepreneur)が重要な役割を担うと主張した。

その教えに倣えば、今までの雇用形態や会社形態の延長線上に解を得るのは難しく、むしろ、会社-個人、社会-個人、個人-個人の関係を一から見直し、新しい事業参画形態、及び社会参画形態を基礎に据えるべきではないかと思う。

事実上、終身雇用の継続が難しいなかで、なぜ、会社の従業員でなければならいのだろう?

個人で会社を起業し、いままで働いていた会社と業務委託契約を結ぶようなかたちもあっていいではないか。

正社員であっても、非正規社員であっても、解雇されるときは解雇されてしまうのだから、業務委託契約だからといって、一方的に不利ともいえないだろう。むしろ、税金面でのメリットを享受できる。

ここら辺の内容は、橘玲氏の近著「貧乏はお金持ち」に詳しいので、興味のある方には、購読をお勧めしたい。




別の見方をすれば、極めて小さい会社・組織のほうが社会の環境変化への感度も高まるであろうから、イノベーションも活発化するに違いない。

一見すると、悲劇的な状況に見えかねないほど、厳しい環境だが、非効率な会社組織から有為な人材を社会に発掘する、またとない機会かもしれない。

そんな機会にチャレンジしてみるのも、また、一考というものだろう。

K

2009年7月19日日曜日

「スマート消費」-「The Rise of the Rich」-Entrepreneurship

既にご覧になられている方もいらっしゃると思うが、17(金)より日経新聞では、「スマート消費が来る」というタイトルで、経済危機後に顕著になってきている新しい消費スタイルを紹介している。

これまでの教科書に代わって使われる、アマゾン・ドット・コムの電子書籍端末「Kindle DX」、話題の村上春樹著「1Q84」の上巻を新刊、中古で売りわけるフタバ図書TERA、カーシェア世界最大手のジップカーなどの事例が紹介されている。

また、第1回となる17日(金)の記事で、豊かさを手に入れた後は「所有より効用が重要になる」とする、仏経済学者 ジャック・アタリ氏の論説(「所有の歴史」)も紹介された。

一方で、昨日の記事では、そのような消費トレンドを裏付けるデータとして、日本の大手企業の売上高を危機前の2008年3月期と10年3月期予想を比較し、自動車の売上高は35%、電機は21%の減少としている。

この特集記事の印象が頭の片隅に残るなか、昨日、経済史について意見を交わす機会があった。

主要なテーマのひとつとして、New Liberalism、Political Economy、という2つの軸で経済動向を分析する手法が紹介され、前者はFinance Capital(金融資本)/Small State主導(=小さな政府)・Middle Classの地位低下、後者はProduction Capital(メーカー資本)/Big Sate(=大きな政府)・Middle Classの地位向上、が顕著になるとしていた。

これらの軸は、社会情勢により行ったり来たりするとのことだったが、最近はさらに3つ目の軸として、国家・政治の枠組みを越えた、企業・個人によるmultilateralismの台頭(The Rise of the Rich)も認識される、という意見だった。

このフレームワークを使い、それでは、今の日本はどうだろう?ということを問題提起してみた。

私は、日本は輸出主導の製造業が産業の中心、基本的に政府の関与が大きいものの、昨今の派遣問題に見られるように、必ずしもMiddle Classの地位が安定しているわけではない、という認識の下、これら2つの軸における状況はきれいに分けづらいのでは?と問題提起を行った。

それに対して、日本はPolitical EconomyからNew Liberalismへ移行期ではないか、との意見が寄せられ、妙に合点がいった。

中国・韓国・台湾・インドなどアジア系新興国が労働集約を武器に、製造業において攻勢をかけるなか、このまま、日本の輸出製造業主導の経済が見直されないわけはない。

そうしたなか、かつてアメリカがそうだったように、New Liberalismが台頭し、製造業のような資産・人的資本中心の社会から、規制緩和などを通じた、金融資本中心の社会となり、持てるもの・持たざるものの格差が広がってしまう、というシナリオが全くあり得ないと言い切れるだろうか。

前段の事例は、その兆候と見れなくはない、という想いが重なり、なおのこと、合点がいってしまったのだ。

ただ、昨日の議論では、そのやり取りの前に、New Liberalism、Political Economyの間の行き来のなかで、その兆候を個人として取り込めれば、The Rise of the Richの一員として、個人が活路を見いだすことも可能ではないか、という意見があった。



その第3の軸が個々人のライフスタイルにうまく反映できれば、これはこれでHappyではないかという気もした。

名の通った会社でも、政治・行政でもない、それら既存組織・団体ではない、個人が社会に働きかける社会。

かつて、Peter F. Druckerは、Innovationは、既存の枠組みで縛られた大企業ではなく、小規模な組織・団体で促すべしとし、Entrepreneurshipの重要性を「Innovation and Entrepreneurship」(翻訳タイトル「イノベーションと企業家精神」、ダイヤモンド社)で説いた。




1985年の著書ということだから、まさしくレーガンの新自由主義政策が推進、小さな政府が標榜され、経済では日本メーカーの台頭により製造業の凋落が始まり、金融へのシフトが始まりだした、ちょうど歴史的な転換期のなかの著書であった。


経済・政治の落ち込みとともに、個人の生活が息詰まるのではやりきれない。個々人の小さい活動の積み重ねから、大きな変化・トレンドを生み出せるようにできないものか。

環境への依存心が強くてもいけないが、日本が、今、確実に個人の生活が重視される社会に動きつつあることを願いたい。

K

P.S.
以後、また、機会があれば、「The Rise of the Rich」についてこのBlogでふれていきたい。

2009年7月14日火曜日

夏野さんの「新陳代謝」に関する課題意識

NTTドコモで、iモードを立ち上げに尽力された、夏野さんの寄稿をWeb(「夏野剛のネオ・ジャパネスク論」)で見つけた。


iモード事件

タイトルは「若者にチャンスを オジサンに勇気を 日本には新陳代謝を」。

閉塞感伴う若者層に活気をもたらすのは、シニア層の勇気ある撤退とする、夏野さんの意見は、私の持論とも通じるところがある。

変化も早く、競争も激しい携帯電話の世界で生き残ってこられただけに、馴染みやすい表現の端々から、手厳しい意見が伺える。

印象に残るフレーズをいくつか挙げてみよう。

・「若い世代に与えられているチャンスは圧倒的に限られていると思う。現在の就職の難しさ、資金調達の困難さ、経済情勢の厳しさは、これまでの日本の若い世代に与えられてきた環境としては最も劣悪であろう」

・「一方で、判断を先送りにしたり、変革や進化への熱意を失ったりしているオジサンが社長の座につくことはいまだに例外ではない。つまり、若者にもっとチャンスを与えることが、機会均等になるだけではなく、日本の成長につながるのではないかと私は考えている」

・「え、どうやってチャンスを与えるかって?それはひとえに古い世代の方々が勇気を持って、若い世代に機会を分け与えるしかないでしょう。勇気を持って、自分のやり方が通用しないことを認め、一歩引いて新しい世代に任せることでしょう」


私の課題意識に近い表現でいえば、これは夏野さんなりの世代間格差への回答なのだろうと思う。

特に技術革新が目覚ましいIT業界にいらっしゃって、過酷な「新陳代謝」が行われる業界だけに、「新しい技術のことはよくわからなくって、とか、いまどきの消費者は何を考えているのかわからん」と平気で言ってのける経営層を信じられない思いで見てきたのだろう。

今回の寄稿では、経営層が対象になっているが、そもそも経営者自身が会社にもたらす経営インパクトはかなりのものであろうから、言い換えると、これは日本の会社の課題とも言える。

この記事を見て、ふと思い出したことがあった。

4~5年前に、あるきっかけでシリコン・バレーのトップクラスのIT企業のエグゼクティブを調査する機会があった。

その調査をして偶然にも気付いたことは、CEOがみな50歳に満たない40代経営者だったこと。その後、時を同じくして、彼らは一線を退くことになるのだが、それがちょうど50歳になる年だったのも、さらに驚いた。

そのときの経営者で、今でも、采配を振るうのは、AppleのSteve JobsやCiscoのJohn Chambersなど多くはないので、IT業界では、50歳を過ぎてトップを続けるケースはほぼ皆無といっていいのかもしれない。

当時、各CEOの略歴を確認して気付いたのは、創業者以外、みな40代前半で会社の要職につき、40代後半でトップになるパターンがほとんどだったことだ。

片や、日本でその年代では出世組でも部長になるのがせいぜいだろう。

これだけ見ても、日本の経営者は周回遅れも甚だしく、体力・気力という基礎的要素だけでもハンディを負うのは明らかだ。

グローバル化の影響で、時差で業務時間は不規則、多様なニーズへの理解と英語を中心にした複数言語の対応が必要、などなど経営者に求められるものは、年々、多様化し、増しているのだが、そんな環境では、60歳を挟んだ年齢の経営者がついていくのが大変、というのは想像に難くない。

また、トップがその年代ならば、周囲を取り囲む人材の年齢層も近くなり、自ずとその年齢層への配慮からその年代層の数は膨らむ。

一方、役職が2~3階層も下で年もひと回りもふた回りも下の年代を構っている余裕はシニアな経営層にはなく、株主からは短期間の成果を迫られると同時に、引退まであと何年と秒読みに入っている経営層が、10年、20年後の将来像やビジョンが描けないのは無理もない。

大過なく、○○会社の社長を終えたい、というのが本音なのではないか。

でも、これでは、人口減少社会となり、低成長の日本は支えられないのではないか。

だからこそ、経営層の若返りが必要だと思うのだが、その際、よく言われる批判は、「経験不足」だ。ただ、ここでいう「経験」とは何であろう?

そもそも自社の関わる環境も認識できず、顧客のこともわかっていない経営者の「経験」とはなんだろう?

とどのつまりは、社内調整の「経験」ではないか。

それが加速すると、益々、社内にしか目が行かない「内向き」経営となり、周りからはどんどん取り残されていく。

同時に、会社の経営が長くなればなるほど、自身のポジションに固執し、変化を望まない層が固定化して「抵抗勢力」化する。

この結果、専門用語でいうところの「組織の硬直化」が起こる。

となれば、「新陳代謝」を促すには、その行司役を市場に任せることを前提に、新たに新興勢力を生み出すほうが効果的だと思うが、いかがだろう?

私はそのチャンスはあると考えていて、そのひとつに、起業形態として社会的起業(Social Entrepreneur)が注目されだしたことはいい兆候だと思う。

事業の実態が伴わず、「カネがカネを生む」バブル的な起業とは異なり、事業としての損益を尊重しつつも、社会に貢献する実態に事業価値を見出し、様々なステークホルダーを巻き込んでいく姿勢には、自身のポジションを堅持することに何よりも価値を置く抵抗勢力とは異なるモチベーションを感じる。

日本の場合、このような新興企業が活発化しない理由として、金融機関からの融資の難しさと共に、(既存事業を守る)複雑な規制が阻害するケースが多いとも聞く。

それを解消し、新しい勢力を誕生させる手助けをするにはどうすればいいか?

いろんな方法があると思うが、昨今、話題となり、しかも手軽にできるのは選挙に行って、その実現にひと汗流してくれそうな政治家に一票を投じるということだ。

その意味で、今度の衆院議選挙はとても大事である。

それは、麻生さんにとってとか、自民党にとってとか、ではなく、明日の我々の生活を問う選挙であるからだ。

投票の基準は人によって様々であろうが、そろそろ深刻な課題が浮き彫りになってきている、世代間格差を正面から取り組もうとする候補者に一票を投じるのも一考かと思う。


K

2009年7月12日日曜日

映画「ハゲタカ」

引越しを行ってからというもの、生活パターンにいろいろと変化があるが、映画鑑賞もそのひとつだ。

今の住居に来る前も歩けるくらいの距離に映画館はあったのだが、ここ1カ月の映画鑑賞の程のペースではなかった。

何より、土曜の夜のレイト・ショウがいい。

場所が近いので最終電車を気にしなくていいし、お客さんが少なくて空いている、そして、若干ではあるが料金も安い。それに公開終了間際だと話題作もレイト・ショウになる。

そういう理由もあって、昨日の晩、「ハゲタカ」を観に行った。

上映時間に余裕があると思い、食べ物を映画館に持ち込み、入場したものの、既に予告編が始まっており、両側の席に囲まれながら(おばさま方に・・・)、「お好み焼き」を頬張る様はなんとも間抜けではあったが・・・

そんななか、映画「ハゲタカ」は始まったが、これが面白かった。

正直なところ、よく書けた脚本だと思った。

「ハゲタカ」は金融を題材にした人間模様である。

そのなかで描かれる人間模様は、なかなか秀逸だと思う。

人間模様は、レベル感を別として、登場人物の「立ち位置」に違いがないと成り立たない。

だから、ドラマの善し悪しは、その「立ち位置」の置き方、それを生み出す環境や背景、登場人物の性格の表現さ加減、などで変わるのではないか。

観る人の共感を得るには、その時々の時代背景が微妙に織り込まれていなくてはならず、時代背景の切り取り方を間違えると、共感が得られなくなる。

そういう意味では、映画「ハゲタカ」の舞台設定と人物設定は絶妙だった。

ファンド vs. 事業会社、経営者 vs. 派遣労働者、日本 vs. 中国、シニア層 vs. 若者層…いずれも今の経済環境の観点でSensitiveなものばかりである。

何はともあれ、日本のメディアで、こういう話題を臆することなく、取り上げることに敬意を表したい。

漠然と意識している課題認識に、なんらかの糸口を与えるものになると思うからだ。

映画のなかで重要な役割を担う「赤いハゲタカ」劉一華は、ある派遣労働者に、これまでの雇用環境を守らなければならないシニアのために、会社は若者に向けて派遣を取り入れた、というようなことを言う。

これを聞いた瞬間、ようやくこういう現実が、メディアで取り上げられるようになったか、と感慨深くなった。

私がそういった認識を知ったのは、産業再生機構のCOOだった冨山さんの講演を聞いた2005年だ。

それ以来、いろいろなニュースで見聞きしながら、また、自分の会社で経験しながら、想いを強くしているのは、今の日本の大きな課題の一つが「世代間格差」だということだ。

よき父、よき管理者、よき親戚たる、シニア層は、自分の立場を守らなければならないので、そんな格差を何も好き好んで話題には出さない。

それが色濃く反映しているのが政治の世界だろう。

一方で、そんな世代が旧態依然として居残っていることを知らされていない、20代~30代前半の世代は、今の厳しい雇用環境が自分にのしかかる試練としてとらえているかもしれない。

でも、その試練は人為的なものである。シニアの雇用を守るために、若者層の雇用環境が厳しくなっているのである。

こういった話題は、あまりマスコミでは取り上げられなかったように思うが、だからこそ、金融モノに収まらず、そういった課題にまで言及する包含した、映画「ハゲタカ」はなかなか秀逸だと思うのだ。

まだ、上映期間はあるようなので、興味を持たれた方は、ぜひ、ご鑑賞いただければ幸いである。

K


NHK DVD ハゲタカ DVD-BOX / 大森南朋


ハゲタカ(上)


ハゲタカ(下)


ハゲタカ(2 上)


ハゲタカ(2 下)


ハゲタカ サウンドトラック

2009年7月5日日曜日

債務超過に陥る30代 ~不安的な環境にどう臨むか?~

先週、日銀短観が発表された。

短観に対するマスコミ各社の反応を見るに、景況感は大底を打って持ち直しているという見方だった半面、設備や雇用には依然、過剰感が強まっている、という論調で報じているところが多かったように思う。

なかには、「企業は過剰感が緩和に転じると見込むが、設備投資の抑制や人件費削減はさらに強まる恐れもある」(7月1日 ブルームバーグ)の見方を示すところもある。

先週、このブログで物価と雇用の関係から今後も厳しい雇用状況が続くとお話ししたが、この短観の内容は、雇用環境の厳しさが裏付けられたような格好で、いささか複雑な心境だ。

そんななか、並行して、日経新聞では、「家計の選択」という特集記事が組まれた。
(日経新聞を読み返されるのもいいが、「金さんのセカンドライフ自立への道」というサイトでは各記事がJPEG形式で読めるようになっている)

その記事から、もはや貯蓄性向の高い日本人という姿がなくなりつつある現状がうかがい知れる。

不安定な雇用を反映して消費を手控える若者層の姿(「シンプル族」)や、実質的に親子孫で住居などもまとめて「連結」する家族、やや行き過ぎたものだと、なけなしの金利に満足できず、「貯金頼みも限界」として高リスク・ハイリターンを目指す20代の女性の運用の姿なども描かれている。

日経新聞をはじめ、マスコミ各社の悪いところは、変化する経済・金融の実情・実態を考慮せず、金融機関の押し売りに歩調を合わせたかのように、「貯蓄から運用へ」のようなキャッチ・フレーズで、リスク・マネーにお金を向かわせようとするところである。

往々にして、このような煽りを受けて、リスクに無自覚なまま、お金をつかうと、多大な被害にあう。

その記事のなかで、私が胸を痛めたのが、住宅ローンの返済に追われる30代のサラリーマンの姿である。

 『「残業がなくなって返済が困難になった」。東京・杉並の日本司法支援センター(法テラス)のコールセンター。相談の中心は30~40代だ。5月は住宅ローン返済にかかわる相談件数が前年同月から約6割増えた。』(2009/06/30、「家計の選択(下)揺らぐ「国富の8割」―閉塞打破は資産活用から」、日本経済新聞 朝刊)

5月に相談が増えたのは、予想外のボーナスの減額にあわてたからであろうか。

さらに、純貯蓄は減り、「債務超過」となった働き盛りの姿は赤裸々に語られる。

 『住友信託銀行によると、勤労者世帯の貯蓄から負債を引いた純貯蓄は2008年で588万円と10年前に比べ2割減。30代に限れば、純貯蓄が77万円のプラスから157万円のマイナスとなった。マイホームを手に入れるなら、若くて、金利も低い今のうちに――。こんな判断をした働き盛り。雇用や所得への不安で「借金も財産のうち」とは言いにくくなった。』(2009/06/30、「家計の選択(下)揺らぐ「国富の8割」―閉塞打破は資産活用から」、日本経済新聞 朝刊)

貯蓄から負債を引いた純貯蓄は若い世代ほど多くなっているという。各世代の純貯蓄の推移は以下のとおり。

30代: 77万円(1998年)→マイナス157万円(2008年)
貯蓄現象の要因: 最大の要因は住宅取得。30代で住宅ローンを借りている人の割合は「08年に37.9%と00年代に入って6ポイント強上昇した」(住友信託銀行)。
 
40代: 464万円(1998年)→242万円(2008年)
貯蓄現象の要因: 住宅取得などで負債が増える一方、子供の教育にお金がかかる時期にあたることも貯蓄水準の下押し要因に

50代: 1,280万円(1998年)→1,075万円(2008年)
貯蓄現象の要因: (日経新聞での言及はなし)

もちろん、各世代ともに10年経てば年をとるので、2008年の40代は10年前の30代であり、これも世代間ギャップが反映されているといえるだろう。

言い換えると、バブル期以前に社会人になっていた世代は純貯蓄を保ち、バブル崩壊後世代は、債務超過に陥っている、と。

その要因は、雇用の不安定が増すなか、バブル期以前に入社した世代に倣い、低金利というベネフィットのみに目を向けて多大な借金までして住宅を取得したことによるという。

しかも、住宅ローンを借りている30代の人の割合が2000年に比べて増えている。

一方で現実に目を向ければ、冒頭の短観ではないが、この先、しばらくは雇用環境は上向かないだろう。

5月に住宅ローン返済に関する相談件数が6割も増えるくらいだから、恐らく30代を中心に、住宅ローンによる債務超過の問題が顕在化するに違いない。

その時を見越して、どう予防線を張るか?

結婚して所帯をもっている人はお金を持つ両親世代との同居で生活を「連結」してしまうのがベターであろう。

貯蓄に余裕のある世代と一緒になることで経済的にも負担が共有できるし、老人介護という観点からも、一定の合理性があると思われる。

生活が落ち着いたならば、親と同居というのも悪くないだろう。

ならば、単身世帯はどうするか。

ルーム・シェアなんかどうであろう?気心のあった人と一緒に住居を賃貸する。

経済的な負担もあるが、昨今の自殺が増加している原因は人との関係の希薄化だと思う。孤立化は避けなければならない。

私も社会人になって大学院で勉強したときは寮生活に戻った。

当初、30歳を過ぎて寮生活なんて、プライバシーは保てないし、拘束されることが多くなるのではと懸念したが、実際はそれほどでもなく、むしろ、気軽に話ができる環境が快く感じた程だった。

そんな人と人とのつながりが「緩めに」拘束される環境がひとつの解になる気がする。


K