先週、鳩山総理の動向が何かと注目された。
国連での二酸化炭素排出削減目標の提言と非核三原則堅持の明言、米・ロ・中といった各国首脳との会談など、なかなかの振る舞いだったと思う。
気の早いメディアや評論家からはそれらの実現性を問う声が聞かれたが、私は具体的な内容如何よりも日本が目指す方向性の一端が諸外国に向けて明示できたことが素晴らしいと思う。
そもそもそういった方向性がない限り、MovementやTrendは生まれない。
政府内で提示した方針達成に向けた裏付けが何もないとは思わないが、一方で、それらを実現するために何をどうすべきかの政策決定については、広く人々を巻き込み、一定のconsensusを持って、実行していくのだろうと予想する。
例えば、二酸化炭素削減目標に対して厳しい意見を寄せる産業界について、このところ、いわゆる「抵抗勢力」的な報じられ方をされているように感じるが、私は産業界の受け止め方を一元的に捉えるのはいかがかと思う。
ややストレートないい方だが、産業界は自社の利益に適うことには素直だから、声高に反対表明をする業界・会社がある一方で、待ってましたとばかりに今回の政府指針を好機ととらえ、積極的に取り組む企業も出ていくるだろう。
往々にして、これまで「大企業」と捉えられてきた企業が守旧派に回るであろうことは、経団連会長を務める御手洗氏の発言からもうかがい知れるが、例えば、御手洗氏の会社のような製造業にしても、このイニシアティブをチャンスと捉える企業もあるだろう。
風力発電、原子力発電、スマートグリッド、電気自動車などなど、今回のイニシアティブに関わりそうな分野に、日本のなかで少なくと1、2社くらい思いつく会社があるはずだ。
ややもすると発言が厳しくなりがちな産業界ですらそうだから、日本のリーダーたる鳩山首相が提示する指針の実現に向けて、政界・官界・実業界に渡って、新しいWork Groupが形成されていく期待を持てる。
今度の総理交代によって、政府の方向転換が顕在化した具体例として、国土交通省管轄下の事業がある。
八ツ場ダムや日本航空再建問題がその典型だが、これら課題への対応も矢継ぎ早で、ニュースを見ているほうがスリリングな印象さえもってしまうほどだ。
そのひとつである八ツ場ダムについては、そこに住む住民だけの問題と捉えるべきではないだろう。
今は緊縮予算のなかで、福祉・社会保障分野では実現すべき課題も多いから、ある均衡のなかで予算をやりくりしなければならない。
そういった観点から、今回の八ツ場ダム建設中止で削減された税金が、例えば、子供手当に充当されるとしたら、皆さん、どう思うだろうか?
それでも八ツ場ダム建設続行に反対? 賛成??
地域住民の方には大変申し訳なく思うが、情緒に流されず、日本全体の最適化のために下す決断が、政治的判断ではないだろうか。
日本航空問題にしてもそう。
これまでの政官癒着や労使問題の影響もあり、何度再建計画を打ち立てても立ち上がらず、しまいには、デルタやアメリカン航空との交渉を行いながら公的支援を仰ぐ状況まで追い込まれた。
それに対する前原大臣の対処は明確で、早速、旧産業再生機構OBを集めた、特別チーム「JAL再生タスクフォース」を設置して対応に当たることにした。
これまでのしがらみに拘束されたら、できない対応であるし、だからこそ、文字通り政治的決断が必要とされる根の深い課題なのだろう。
しかも、国民の血税を無駄にしない、という政治的意思の表れと捉えれば、もろ手を挙げて国交省の対応を支援すべきではないだろうか。
一説によれば、今回のタスクフォース結成は、アメリカのGM再建をモデルにしていると言われているが、類似した対応を行うとして現在のGMの状況から想像するに悪くないアプローチといえるのではないか。
今朝のサンデープロジェクトでの前原大臣のインタビューの内容は、冷静かつ論理的である一方で、八ツ場ダムについては住民への配慮を見せるなど、これまでの自民党議員には感じられなかった、ある種の清々しさを感じさせた。
これら一連の動きから、政治的リーダーシップとはこういうことなんだろうと思う。
その時々の優先課題に対して、国全体の利益のために、取り組むべき方向性を明確にして、それに必要なリソースを投入する。
だから、実現性の可否を問う前に、我々、一人ひとりの国民にとって、何が利益だと判断し、その政策に支援するのか、しないのかの立場を明確にすることのほうが大事なのだろうと思う。
それが、8月の衆議院選の結果に対する国民の責任だと考えるが、いかがだろうか。
それにしても、鳩山政権の滑り出しを見る限り、変化を予感させるに十分なものがある。
K
2009年9月27日日曜日
2009年9月21日月曜日
エコタウンを目指す官民の取り組み
シルバーウィークと名付けられた秋の連休を、皆さん、どうお過ごしであろうか?
連休ももう半ばになるが、私の前半は、野球観戦三昧で終わった…
しかも、住んでいる地域の高校野球の準々決勝を連日に渡って2日連続で観戦。
その影響もあって、こちらのBlogの更新も本日になってしまった。
2週間後の準決勝戦、決勝戦が楽しみであるが、その話題はさておき。。。
連休前半に電気店を訪れた際、思いがけない商品を見つけた。
電動スクーターが電気店で販売されていたのだ。
電動スクーターとは、ガソリンを燃料に使わず、家庭用のコンセントで充電する電気を動力源にするスクーター。
電気店にスクーター?
かなり意外な組み合わせだが、最近の話題の環境問題の関心も手伝い、しばし説明員の話に聞き入ってしまった。
同社の商品は、Webでも見れるので(動画あり)、興味のある方はご覧いただきたい。
ついでに調べてみると、こういった商品は他社でも紹介されており、Webを一通り、見たところでは、下記の商品が目に付いた。
また、YouTubeにも紹介されているので、こちらもご覧いただきたい。
(開始後、2:46くらいから具体的な商品の紹介が始まる)
http://www.youtube.com/watch?v=Ghc0yt7S_uw
このような電気で動くスクーターや自動車が注目されてきたが、ポイントは、CO2排出削減はもとより、何しろ、維持費が安いことだろう。
先の電気店で紹介されていたスクーターは1円で約3Km走るという。
燃費のいいガソリン・原付バイクのなかでは、スズキのアドレスV50Gが評判のようだが、こちらの燃費の参考値が1ℓ=76kmなので、仮に1ℓ=130円としても、1円で585mくらいしか走らない。
景気の浮上の足取りが重いなか、環境にやさしく、かつ、経済的にもメリットのある、電気を動力源にする商品が、今後、支持されない訳はない。
実は、19日(土)に、私が住む神奈川県では、全国の自治体でもユニークな取り組みがこの週末より開始された。
「EVシェアリングモデル事業」という、排ガスの出ない電気自動車(EV)のレンタカーを県と県民が分け合う事業で、全国初の試みという。
平日、県が業務で使用するEVを、土日祝日は県民に貸し出すもので、利用料金はガソリン車並みの3時間まで5,250円に抑えられるといい、当面、来年3月19日まで続けるとのこと。
詳しくは、こちらの記事をご覧いただきたい。
民主党出身の松沢氏が知事を務める自治体らしい、県民と自治体が直結した事業として、注目されるところである。
おそらく、車両管理はレンタカー事業者のほうでやるのであろうから、自治体としてもメリットがあるし、それよりも何よりもそういった先進的なサービスを享受できる県民のメリットも大きい。
これまでもマンションの住民向けにカーシェアリングを提供するものはあったが、それを自治体が行うのだからスケールが大きい。
一方で、自動車メーカー側の観点からこの影響で販売が減少するのではと心配する声も出そうだが、そもそも、今の若者は車を購入するモチベーションが高くないように思えるので、この事業そのもので、直接、大きな影響を受けるものではないと思う。
むしろ、レンタルCDやビデオではないが、シェアリングを通じて、自動車と接点を持つことで販売機会が生まれるのではないか。
この神奈川県の事業には、富士重工業と三菱自動車の車が対象になっているようだが、業界の1番手とはいえないこの2社が、他社に先駆けて取り組んでいるのは、決して、偶然ではないだろう。
まだ、この事業の期間は半年くらいあるので、ぜひ、一度、利用してみようと思う。
そういえば、以前のBlogでも紹介させていただいたが、アメリカにお住まいで、アメリカ初のソーシャル・ビジネスを週1回紹介されている、斎藤槇さんの今回のメールでは、自動車シェアリングサービスを手掛ける、Zipcarと、サンフランシスコ市の取り組みが紹介されていた。
先の事例もそうだったが、斎藤さんとは関心を寄せるトピックスが重なるようだ。
メールによれば、Zipcarとサンフランシスコ市は、ハイブリッドカー利用を促進しており、Zipcarは利用者に提供できるハイブリッド車を増やす一方、市は市庁舎前にチャージできるステーションを設置するといった協働とのこと。
Zipcarのサービス・コンセプト(英語):
なんでも、サンフランシスコ市は全米でも1、2を争う環境にやさしい都市とのことで、現在、また、同市はマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボとの共同プロジェクトとして、スマートスクーター、モーター付き自転車の導入も検討しているという。
先に紹介したようなスマートスクーターにも対象を拡げようというのだから、その意気込みはかなり野心的といえる。
日本の場合、スクーターのほうは自治体のシェアリング事業とするのもいいが、利用者のアクセスの良さという面では郵便局も面白いかもしれないが。
これらを客観的に見ると、便利でエコだけではなく、それ以前に安全が最も重視されなければならず、そういう意味では、決して参入障壁は低くはないと言える。
ただ、これも見方を変えれば、ボランティアではできない、事業者として取り組むべき事業で、事業者が新規参入する余地が十分にあるともいえる。
日本の内需振興をもたらす、新しい事業になるか。
生活習慣を劇的に変えるようなインパクトを予感させる事業なので、いずれにしても大いに期待したい。
自治体もそのメリットを享受しつつ、サポートしてもらいたい事業である。
K

爽やかエコドライブに、ショッピングに、通学に時代の先端を走る爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク。爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク「華厳」
連休ももう半ばになるが、私の前半は、野球観戦三昧で終わった…
しかも、住んでいる地域の高校野球の準々決勝を連日に渡って2日連続で観戦。
その影響もあって、こちらのBlogの更新も本日になってしまった。
2週間後の準決勝戦、決勝戦が楽しみであるが、その話題はさておき。。。
連休前半に電気店を訪れた際、思いがけない商品を見つけた。
電動スクーターが電気店で販売されていたのだ。
電動スクーターとは、ガソリンを燃料に使わず、家庭用のコンセントで充電する電気を動力源にするスクーター。
電気店にスクーター?
かなり意外な組み合わせだが、最近の話題の環境問題の関心も手伝い、しばし説明員の話に聞き入ってしまった。
同社の商品は、Webでも見れるので(動画あり)、興味のある方はご覧いただきたい。
ついでに調べてみると、こういった商品は他社でも紹介されており、Webを一通り、見たところでは、下記の商品が目に付いた。
また、YouTubeにも紹介されているので、こちらもご覧いただきたい。
(開始後、2:46くらいから具体的な商品の紹介が始まる)
http://www.youtube.com/watch?v=Ghc0yt7S_uw
このような電気で動くスクーターや自動車が注目されてきたが、ポイントは、CO2排出削減はもとより、何しろ、維持費が安いことだろう。
先の電気店で紹介されていたスクーターは1円で約3Km走るという。
燃費のいいガソリン・原付バイクのなかでは、スズキのアドレスV50Gが評判のようだが、こちらの燃費の参考値が1ℓ=76kmなので、仮に1ℓ=130円としても、1円で585mくらいしか走らない。
景気の浮上の足取りが重いなか、環境にやさしく、かつ、経済的にもメリットのある、電気を動力源にする商品が、今後、支持されない訳はない。
実は、19日(土)に、私が住む神奈川県では、全国の自治体でもユニークな取り組みがこの週末より開始された。
「EVシェアリングモデル事業」という、排ガスの出ない電気自動車(EV)のレンタカーを県と県民が分け合う事業で、全国初の試みという。
平日、県が業務で使用するEVを、土日祝日は県民に貸し出すもので、利用料金はガソリン車並みの3時間まで5,250円に抑えられるといい、当面、来年3月19日まで続けるとのこと。
詳しくは、こちらの記事をご覧いただきたい。
民主党出身の松沢氏が知事を務める自治体らしい、県民と自治体が直結した事業として、注目されるところである。
おそらく、車両管理はレンタカー事業者のほうでやるのであろうから、自治体としてもメリットがあるし、それよりも何よりもそういった先進的なサービスを享受できる県民のメリットも大きい。
これまでもマンションの住民向けにカーシェアリングを提供するものはあったが、それを自治体が行うのだからスケールが大きい。
一方で、自動車メーカー側の観点からこの影響で販売が減少するのではと心配する声も出そうだが、そもそも、今の若者は車を購入するモチベーションが高くないように思えるので、この事業そのもので、直接、大きな影響を受けるものではないと思う。
むしろ、レンタルCDやビデオではないが、シェアリングを通じて、自動車と接点を持つことで販売機会が生まれるのではないか。
この神奈川県の事業には、富士重工業と三菱自動車の車が対象になっているようだが、業界の1番手とはいえないこの2社が、他社に先駆けて取り組んでいるのは、決して、偶然ではないだろう。
まだ、この事業の期間は半年くらいあるので、ぜひ、一度、利用してみようと思う。
そういえば、以前のBlogでも紹介させていただいたが、アメリカにお住まいで、アメリカ初のソーシャル・ビジネスを週1回紹介されている、斎藤槇さんの今回のメールでは、自動車シェアリングサービスを手掛ける、Zipcarと、サンフランシスコ市の取り組みが紹介されていた。
先の事例もそうだったが、斎藤さんとは関心を寄せるトピックスが重なるようだ。
メールによれば、Zipcarとサンフランシスコ市は、ハイブリッドカー利用を促進しており、Zipcarは利用者に提供できるハイブリッド車を増やす一方、市は市庁舎前にチャージできるステーションを設置するといった協働とのこと。
Zipcarのサービス・コンセプト(英語):
なんでも、サンフランシスコ市は全米でも1、2を争う環境にやさしい都市とのことで、現在、また、同市はマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボとの共同プロジェクトとして、スマートスクーター、モーター付き自転車の導入も検討しているという。
先に紹介したようなスマートスクーターにも対象を拡げようというのだから、その意気込みはかなり野心的といえる。
日本の場合、スクーターのほうは自治体のシェアリング事業とするのもいいが、利用者のアクセスの良さという面では郵便局も面白いかもしれないが。
これらを客観的に見ると、便利でエコだけではなく、それ以前に安全が最も重視されなければならず、そういう意味では、決して参入障壁は低くはないと言える。
ただ、これも見方を変えれば、ボランティアではできない、事業者として取り組むべき事業で、事業者が新規参入する余地が十分にあるともいえる。
日本の内需振興をもたらす、新しい事業になるか。
生活習慣を劇的に変えるようなインパクトを予感させる事業なので、いずれにしても大いに期待したい。
自治体もそのメリットを享受しつつ、サポートしてもらいたい事業である。
K
爽やかエコドライブに、ショッピングに、通学に時代の先端を走る爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク。爽やかエコ・プラグインハイブリットバイク「華厳」
2009年9月15日火曜日
購買力平価と為替から考える日本の課題
先の週末は何かと慌ただしかった。
土曜日の朝から長時間の試験を行い(この歳でさすがにつらかった)、それが終わってからある講演会に参加、その日一日の労をねぎらうために夜はライブに出掛けたまでは良かったが、やや飲みすぎたためか、体調を崩し、日曜日はほとんどまともに動くことができなかった。
後半はなんとも情けなかったのが、こんな時にもいろいろと発見はあるものである。
今回のブログは、最近、個人的に目に触れる機会が多い話題である、購買力平価と為替の関係を取り上げて、日本の課題をまとめてみたい。
購買力平価ということば自体、かなり堅い表現なのに、なぜこんなに目に触れるかといえば、日本がデフレ・トレンドを辿っているのを意識していて、やはりモノの値段に関する話題に敏感なせいかもしれない。
そのため、目を通す新聞記事や講演会の話題などについても意識してしまい、取り上げられる機会が多いと感じてしまうのだろう。
結論からいえば、購買力平価の観点から判断すると、相対的に、日本円は他の通貨と比べて、10年以上その価値を下げ続けているらしい。
言い換えれば、外国から見れば、日本のモノはどんどん安く変えるようになる一方、海外のモノは、どんどん高くなり、買いにくくなっているのだ。
身近な例でいえば、日本から海外旅行に行く場合、コストは膨らむ一方で、日本に来る外国人観光客にとっては、日本のモノはますますお買い得になっているようなものだ。
この観点からすれば、サブプライムローン問題が表面化するまで自動車や電機などの輸出産業の業績が良かったのは偶然ではないと言える。
そうはいっても、皆さんは、日頃、テレビや新聞で目にする為替レートで、そういう理解がしっくりこないかもしれない。
ただ、メディアで紹介される為替レートは、物価水準が反映されていない、いわば名目の実効レートになるため、実質的な通貨の価値を反映しておらず、これだけでは為替の価値を判断できない。
そこで、購買力平価の出番になるわけだが、まずは、その基本的なコンセプトについて、説明したい。
購買力平価は、同じ商品であれば、どこの国でも、同じ価格で売られているはず、という原理に基づいた説である。
例としてよく引用されるのがハンバーガーで、日本において100円で売られているものがアメリカでは1ドルで売られている場合、購買力平価、言い換えると、為替相場の均衡点は、1ドル=100円となる。
この説のよりどころになっているのが、為替需給による自動調整機能で、もし、ある国の通貨が購買力平価に比べて割高になっているならば、輸出競争力が低下し、経常収支は悪化、その結果、その通貨の需給は「ゆるみ」、適正価格水準に向かって次第に下落していく、というメカニズムが働くという。
12日(土)に聴いた、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの五十嵐敬喜氏の話では、90年代半ば以降、日本の物価水準は海外に比べてじわじわと下がっており、その差は広がっているという。

そのため、上記のようなセオリーを適用すれば、日本円の実効レートは、円高に振れてよいはずなのだが、そうとはならず、実際には、円安トレンドになっているそうだ。
この理由は、我々が普段、メディアで目にする円の名目レートが、物価のズレほどには、円高になっていないためとのこと。
関連して、9月6日付の日経ヴェリタスでの深谷幸司氏の分析は興味深い。
主要通貨について、購買力平価を試算しているので、ここでご紹介しておこう。
米ドル: 1ドル=97円(消費者物価基準)/87円(資本財物価基準)
豪ドル: 1豪ドル=66円(消費者物価基準)
英ポンド: 1ポンド=148円(消費者物価基準)
(註: 深谷氏も紙面で述べているが、いずれも起点とする年や用いる物価指数もひとつではなく、絶対的な購買力平価ではないので、ひとつの参考値としてご確認いただきたい)
この試算と現在のレートを比較すると、実効レート以上に円安であることが見て取れる。
では、今後、米ドルと日本円を比較した場合、為替レートはどうなるのか?
前出の五十嵐氏は、米国の財政収支に着目しており、大幅に上昇する財政赤字を見越したうえで、それでも政策効果が実感できれば、リスク許容度が増し、ドルを売る動きが出るものと予測しており、そうなれば、ドル安・円高になるという。
ただし、日米の金利差が予想以上に開いた場合、ドルを買う動きの影響で、ドル高・円安にもなり得る、と付け加えていた。
これらを総合すると、物価を加味したうえで理論的に円の価値を考えれば、日頃目にする為替レートはもっと円高になってもおかしくない状況であることは理解いただけると思う。
一方で、賃金も上がらず、デフレ傾向が続き(個人的にはそう予想している)、海外との価格の差が開くようであれば、実質的に円安になる傾向は変わらない。
もし、そうなれば、これまでの輸出主導の製造業がけん引する日本経済からの変化は難しくなると同時に、食料や資源の調達がますます不利になっていくと予想される。
理論上、この流れを変えるには、デフレを止めるべきであるが、そのためには消費者の懐具合がそれなりに温かくならなければならないので、賃金の上昇が不可欠である。
そのためには、これ以上の失業率の悪化は防がねばならない、ということになるので、セーフティーネットも大事だが、より根本的には雇用を創出する政策がもっと大事になる、という、いつもの結論に落ち着くわけだ。
明日、誕生する鳩山新政権にその課題克服を期待しつつ、我々が主体性を持って取り組めることはないか、これからも考えていきたいと思う。
K
土曜日の朝から長時間の試験を行い(この歳でさすがにつらかった)、それが終わってからある講演会に参加、その日一日の労をねぎらうために夜はライブに出掛けたまでは良かったが、やや飲みすぎたためか、体調を崩し、日曜日はほとんどまともに動くことができなかった。
後半はなんとも情けなかったのが、こんな時にもいろいろと発見はあるものである。
今回のブログは、最近、個人的に目に触れる機会が多い話題である、購買力平価と為替の関係を取り上げて、日本の課題をまとめてみたい。
購買力平価ということば自体、かなり堅い表現なのに、なぜこんなに目に触れるかといえば、日本がデフレ・トレンドを辿っているのを意識していて、やはりモノの値段に関する話題に敏感なせいかもしれない。
そのため、目を通す新聞記事や講演会の話題などについても意識してしまい、取り上げられる機会が多いと感じてしまうのだろう。
結論からいえば、購買力平価の観点から判断すると、相対的に、日本円は他の通貨と比べて、10年以上その価値を下げ続けているらしい。
言い換えれば、外国から見れば、日本のモノはどんどん安く変えるようになる一方、海外のモノは、どんどん高くなり、買いにくくなっているのだ。
身近な例でいえば、日本から海外旅行に行く場合、コストは膨らむ一方で、日本に来る外国人観光客にとっては、日本のモノはますますお買い得になっているようなものだ。
この観点からすれば、サブプライムローン問題が表面化するまで自動車や電機などの輸出産業の業績が良かったのは偶然ではないと言える。
そうはいっても、皆さんは、日頃、テレビや新聞で目にする為替レートで、そういう理解がしっくりこないかもしれない。
ただ、メディアで紹介される為替レートは、物価水準が反映されていない、いわば名目の実効レートになるため、実質的な通貨の価値を反映しておらず、これだけでは為替の価値を判断できない。
そこで、購買力平価の出番になるわけだが、まずは、その基本的なコンセプトについて、説明したい。
購買力平価は、同じ商品であれば、どこの国でも、同じ価格で売られているはず、という原理に基づいた説である。
例としてよく引用されるのがハンバーガーで、日本において100円で売られているものがアメリカでは1ドルで売られている場合、購買力平価、言い換えると、為替相場の均衡点は、1ドル=100円となる。
この説のよりどころになっているのが、為替需給による自動調整機能で、もし、ある国の通貨が購買力平価に比べて割高になっているならば、輸出競争力が低下し、経常収支は悪化、その結果、その通貨の需給は「ゆるみ」、適正価格水準に向かって次第に下落していく、というメカニズムが働くという。
12日(土)に聴いた、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの五十嵐敬喜氏の話では、90年代半ば以降、日本の物価水準は海外に比べてじわじわと下がっており、その差は広がっているという。
そのため、上記のようなセオリーを適用すれば、日本円の実効レートは、円高に振れてよいはずなのだが、そうとはならず、実際には、円安トレンドになっているそうだ。
この理由は、我々が普段、メディアで目にする円の名目レートが、物価のズレほどには、円高になっていないためとのこと。
関連して、9月6日付の日経ヴェリタスでの深谷幸司氏の分析は興味深い。
主要通貨について、購買力平価を試算しているので、ここでご紹介しておこう。
米ドル: 1ドル=97円(消費者物価基準)/87円(資本財物価基準)
豪ドル: 1豪ドル=66円(消費者物価基準)
英ポンド: 1ポンド=148円(消費者物価基準)
(註: 深谷氏も紙面で述べているが、いずれも起点とする年や用いる物価指数もひとつではなく、絶対的な購買力平価ではないので、ひとつの参考値としてご確認いただきたい)
この試算と現在のレートを比較すると、実効レート以上に円安であることが見て取れる。
では、今後、米ドルと日本円を比較した場合、為替レートはどうなるのか?
前出の五十嵐氏は、米国の財政収支に着目しており、大幅に上昇する財政赤字を見越したうえで、それでも政策効果が実感できれば、リスク許容度が増し、ドルを売る動きが出るものと予測しており、そうなれば、ドル安・円高になるという。
ただし、日米の金利差が予想以上に開いた場合、ドルを買う動きの影響で、ドル高・円安にもなり得る、と付け加えていた。
これらを総合すると、物価を加味したうえで理論的に円の価値を考えれば、日頃目にする為替レートはもっと円高になってもおかしくない状況であることは理解いただけると思う。
一方で、賃金も上がらず、デフレ傾向が続き(個人的にはそう予想している)、海外との価格の差が開くようであれば、実質的に円安になる傾向は変わらない。
もし、そうなれば、これまでの輸出主導の製造業がけん引する日本経済からの変化は難しくなると同時に、食料や資源の調達がますます不利になっていくと予想される。
理論上、この流れを変えるには、デフレを止めるべきであるが、そのためには消費者の懐具合がそれなりに温かくならなければならないので、賃金の上昇が不可欠である。
そのためには、これ以上の失業率の悪化は防がねばならない、ということになるので、セーフティーネットも大事だが、より根本的には雇用を創出する政策がもっと大事になる、という、いつもの結論に落ち着くわけだ。
明日、誕生する鳩山新政権にその課題克服を期待しつつ、我々が主体性を持って取り組めることはないか、これからも考えていきたいと思う。
K
2009年9月6日日曜日
社会的起業の事例 ~路上生活者の実情とその支援が目指す方向とは?
先週、目を通したニュースに目が離せなくなるものがあった。見出しと書き出しは以下の通り。
「路上生活者:心の病深刻 失業、就職難が原因に 東京・池袋、医師ら80人調査
路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症など何らかの精神疾患を抱えていることが、東京の池袋駅周辺で精神科医らが実施した実態調査で分かった。国内でのこうした調査は初めて。自殺願望を伴うケースも目立ち、調査に当たった医師は『精神疾患があると自力で路上生活から抜け出すのは困難。状態に応じた支援や治療が必要だ」としている』」
詳細について興味のある方は、タイトルをクリックしていただければ、記事のタイトルをクリックすればリンクが張っているのでご確認いただきたい。
この記事が読んだとき、胸が痛んだ。
巷間では経済の底打ちなどが騒がれているが、その経済の悪化に伴う社会的な歪みに目が向け、そして対処することができていないという日本社会の現実を目の当たりにしたような思いだった。
自治体や会社、そして家庭も懐事情が厳しいなか、そういった歪みに目を向けるだけの余裕がなくなっているのも無理もないようにも思う。
また、政治的な対処や自治体のフォローアップも十分でないのが実態なのだろう。
ただ、失業の憂き目と精神疾患で行き場を失い、路上生活を余議されなくなっている人がいる現実をどう捉えればいいのだろうか。
企業や政治の不十分な対応を批判するのは容易だが、しかし、今回の記事で紹介されている路上生活者にも、家族や友人、職場の先輩、同僚、近隣の住人の方もいただろうに、なぜ、そうなってしまったのかと思う。
やりきれない思いでこのことを考えていたところ、斎藤槙さんが代表を務められているASU International社のメールマガジンが飛び込んできた。
斎藤槙さんの著書『社会起業家 -社会責任ビジネスの新しい潮流-』(岩波新書)を読んでからというもの、社会的起業について、いろいろと勉強してみたいと思い、このメールマガジンを申し込んでいた。

社会起業家
このメールマガジンはアメリカでのソーシャル・ビジネスを紹介するものだが、今回のテーマは、ずばり「ホームレス支援事業」。
この記事によれば、カルフォルニア州サンタモニカ市はホームレスに優しい街ということで米国でも有名とのことで、人口一人当たりの割合で言うと、ホームレス対策費用、シェルターのベッドの数などでは全米一、とのことだった。
そして、今回、紹介されているのが、Step Up on Secondという団体の話。
Step Up on Secondは心の病を患う人たちのリハビリ施設、救済の場として1984年に設立。
設立のきっかけがひとつのドラマで、心の病を患う息子を持つひとりの女性が、息子を治したい一心で試行錯誤を繰り返し、たどりついた方法がアートセラピーや職業訓練、あるいは何かの技術を身につけるといった生産的活動を行うことによって周辺の環境を改善していくことに至り、同団体を設立したという。
現在、1,200人を超える心の病を抱える人のケアを行い、34の住居を提供しており、さらに新しいビルを建設したとのこと。この建設にあたってサンタモニカ市やさまざまな営利企業も協力を行ったと紹介されている。
入居者の条件は、ホームレスであること、そして恒常的な心の病を抱えていることで、入居は申し込み順。
記事のなかには、入居者の声が紹介されている。
「最近のLAタイムズ紙で、あるホームレスの記事が紹介されました。52歳のCraig Blasingameさんです。彼は8年間のホームレス生活の後、Step Up on Fifthにたどり着き、運良く入居することができました。
『8年間トンネルの向こう側にある光を求め続けてきました。いや、そのトンネルさえ見つけられなかったのが現実でした。でも、今では、サンタモニカの新しいアパートで、朝起きると折りたたんでしまえるベッドのベッドメーキングをするようになりました。もちろん、この8年間ベッドメーキングなんてしたことはありません』
さらに『ここは本当に僕の場所。新しい友達もできたし、楽しい思い出作りもしています』
彼は今では地元のファーマーズ・マーケット(青空市場)で週2回働いています。
『とうとうトンネルの向こう側の光にたどり着けました。ホームレス仲間の間で、言われているトンネルの向こう側の光にね。』」
今回の記事を読んで、「もうひとつの軸」が果たす重要性をしみじみと感じた。
自治体や会社でもなく、また、家族や友人とも違う、「もうひとつの軸」が果たす役割。
今回紹介されている「Step Up on Second」のような団体はその「もうひとつの軸」である。
志高い意図を持った人が設立された団体とはいえ、それまでにこのように社会との関係性を生み出すメカニズムが存在しないが故に人工的に作られたものだ。
高齢者施設と同じように捉え、それを機械的に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、生い立ち(家族・友人)や損得(会社)と一線を画すバランスのなかで成立する社会との関係もあるのでは?と感じる。
ゆくゆくは、社会との関係のなかで自立することを目指すのだから、これは日本で言われるところの奉仕とも違うだろうと思う。
ということで、社会的起業という表現がぴったりくるのだが、そういうメカニズムが早く日本でも根付くことを望みたい。
これからもこのような社会的起業について触れていきたいと思う。
K
「路上生活者:心の病深刻 失業、就職難が原因に 東京・池袋、医師ら80人調査
路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症など何らかの精神疾患を抱えていることが、東京の池袋駅周辺で精神科医らが実施した実態調査で分かった。国内でのこうした調査は初めて。自殺願望を伴うケースも目立ち、調査に当たった医師は『精神疾患があると自力で路上生活から抜け出すのは困難。状態に応じた支援や治療が必要だ」としている』」
詳細について興味のある方は、タイトルをクリックしていただければ、記事のタイトルをクリックすればリンクが張っているのでご確認いただきたい。
この記事が読んだとき、胸が痛んだ。
巷間では経済の底打ちなどが騒がれているが、その経済の悪化に伴う社会的な歪みに目が向け、そして対処することができていないという日本社会の現実を目の当たりにしたような思いだった。
自治体や会社、そして家庭も懐事情が厳しいなか、そういった歪みに目を向けるだけの余裕がなくなっているのも無理もないようにも思う。
また、政治的な対処や自治体のフォローアップも十分でないのが実態なのだろう。
ただ、失業の憂き目と精神疾患で行き場を失い、路上生活を余議されなくなっている人がいる現実をどう捉えればいいのだろうか。
企業や政治の不十分な対応を批判するのは容易だが、しかし、今回の記事で紹介されている路上生活者にも、家族や友人、職場の先輩、同僚、近隣の住人の方もいただろうに、なぜ、そうなってしまったのかと思う。
やりきれない思いでこのことを考えていたところ、斎藤槙さんが代表を務められているASU International社のメールマガジンが飛び込んできた。
斎藤槙さんの著書『社会起業家 -社会責任ビジネスの新しい潮流-』(岩波新書)を読んでからというもの、社会的起業について、いろいろと勉強してみたいと思い、このメールマガジンを申し込んでいた。
社会起業家
このメールマガジンはアメリカでのソーシャル・ビジネスを紹介するものだが、今回のテーマは、ずばり「ホームレス支援事業」。
この記事によれば、カルフォルニア州サンタモニカ市はホームレスに優しい街ということで米国でも有名とのことで、人口一人当たりの割合で言うと、ホームレス対策費用、シェルターのベッドの数などでは全米一、とのことだった。
そして、今回、紹介されているのが、Step Up on Secondという団体の話。
Step Up on Secondは心の病を患う人たちのリハビリ施設、救済の場として1984年に設立。
設立のきっかけがひとつのドラマで、心の病を患う息子を持つひとりの女性が、息子を治したい一心で試行錯誤を繰り返し、たどりついた方法がアートセラピーや職業訓練、あるいは何かの技術を身につけるといった生産的活動を行うことによって周辺の環境を改善していくことに至り、同団体を設立したという。
現在、1,200人を超える心の病を抱える人のケアを行い、34の住居を提供しており、さらに新しいビルを建設したとのこと。この建設にあたってサンタモニカ市やさまざまな営利企業も協力を行ったと紹介されている。
入居者の条件は、ホームレスであること、そして恒常的な心の病を抱えていることで、入居は申し込み順。
記事のなかには、入居者の声が紹介されている。
「最近のLAタイムズ紙で、あるホームレスの記事が紹介されました。52歳のCraig Blasingameさんです。彼は8年間のホームレス生活の後、Step Up on Fifthにたどり着き、運良く入居することができました。
『8年間トンネルの向こう側にある光を求め続けてきました。いや、そのトンネルさえ見つけられなかったのが現実でした。でも、今では、サンタモニカの新しいアパートで、朝起きると折りたたんでしまえるベッドのベッドメーキングをするようになりました。もちろん、この8年間ベッドメーキングなんてしたことはありません』
さらに『ここは本当に僕の場所。新しい友達もできたし、楽しい思い出作りもしています』
彼は今では地元のファーマーズ・マーケット(青空市場)で週2回働いています。
『とうとうトンネルの向こう側の光にたどり着けました。ホームレス仲間の間で、言われているトンネルの向こう側の光にね。』」
今回の記事を読んで、「もうひとつの軸」が果たす重要性をしみじみと感じた。
自治体や会社でもなく、また、家族や友人とも違う、「もうひとつの軸」が果たす役割。
今回紹介されている「Step Up on Second」のような団体はその「もうひとつの軸」である。
志高い意図を持った人が設立された団体とはいえ、それまでにこのように社会との関係性を生み出すメカニズムが存在しないが故に人工的に作られたものだ。
高齢者施設と同じように捉え、それを機械的に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、生い立ち(家族・友人)や損得(会社)と一線を画すバランスのなかで成立する社会との関係もあるのでは?と感じる。
ゆくゆくは、社会との関係のなかで自立することを目指すのだから、これは日本で言われるところの奉仕とも違うだろうと思う。
ということで、社会的起業という表現がぴったりくるのだが、そういうメカニズムが早く日本でも根付くことを望みたい。
これからもこのような社会的起業について触れていきたいと思う。
K
2009年9月1日火曜日
今回の選挙結果に想うこと~富の再分配システムへのニーズ
先の衆院議員選挙は、大方の予想通り、民主党の地滑り的な大勝利に終わった。
4年前の自民党の大勝と全く逆の展開となり、オセロ・ゲームの白黒の駒がまるまるひっくり返ったような印象だ。
この民主党の大勝について、いろんな方がいろんなコメントをしているが、私は、ここ何年かの「小さな政府・タカ派」から「大きな政府・ハト派」へと大きな方向修正が図られた、と見るのが妥当であろうと考えている。
池田勇人、佐藤栄作、田中角栄らが確立した自民党の保守本流は典型的な「大きな政府・ハト派」であり、その流れを汲む民主党・小沢氏がこの路線を引き継ぐ一方、小泉前総理の構造改革路線を修正しきれない自民党は「小さな政府・タカ派」政党と受け取られて、国民にそっぽを向かれたということではないか。
小泉政権は、派閥政治の解消を通じ、自民党が良くも悪くも時間を掛けて築いてきた「富の再分配」を破壊してしまった。
前回の衆議院選挙はそれが有権者に好意的に受け止められたため、大勝したのだが、今回は昨年からの金融危機も手伝い、「富の再分配」システムがなくなることを国民はリスクと受け止めた。
そのために、派閥の領袖や閣僚経験者であるほど、有権者の受けは悪く、結果的に落選の憂き目にあうこととなった。
そして、以前だったら、完全な保守基盤(=自民党基盤)である都道府県は、ことごとく民主党に議席を奪われた。
少しつっこんで考えたい。
2000年になった頃、これまでの再分配システムが受益者よりも供給者が優先されて既得権益の温床となったことで、機能不全のシステムを解体すべく、構造改革・規制緩和といったマーケット・オリエンテッドな手法が支持され(=「新自由主義」と呼ばれる)、小泉政権を誕生させるきっかけになった。
ところが、そのパフォーマンスが低下していたとはいえ、多少なりとも機能していた再分配システムは、構造改革の旗印の下、その機能を完全に失ってしまう。
雇用面では、国内の雇用維持と労働者への柔軟な労働環境を提供することを名目として、製造業の派遣労働が解禁となった。
また、「ハコモノ」行政による、地方の建設業界への予算還流もなくなるとともに、「三位一体」の地方制度改革の下での地方交付金も事実上、削減される。
郵政民営化にしても業務拡大よりも業務効率化が目的だから、再分配機能は働きづらい。
民主党のマニュフェストからは、多少の不公平感も感じなくもないが、手段を変えて、国民一人ひとりに、直接、富が分配されるシステムを確立しようとしている。
再分配を渇望する国民には、魅力的な内容と映っているはずだ。
民主党政権は、様々な予算の無駄を排除するのはもちろん、場合によっては、国債も発行して、次の参議院選挙くらいまで、とにかく「バラマキ」を実施するだろう。
それによって、来年の参議院選挙の単独過半数獲得を狙うはず。
もし、参議院まで民主党に単独過半数を握られれば、自民党は党としての存在意義を失うかもしれない。
そうなれば、2大政党制なる大義名分は機能しなくなるが、そうなったらなったで政界再編などによって政治の世界は体裁を保つと思うのでそこはシリアスな問題にならないかもしれないが、問題は我々の生活のほうである。
再三、ここで述べているが、私は少子化対策よりも世代間雇用格差のほうがより喫緊の課題だと認識しているが、その課題にどう切り込むか、また、既に海外では議論されている、景気刺激策の「出口戦略」をどう取り組むか、そして、一連の対策により、膨らむ国の借金にどう取り組むのか、中期的な対処策が求められるに違いない。
繰り返すが、今回の圧勝により、民主党はこの1年くらいは、彼らのマニュフェストの実現に傾注し、本格的な「バラマキ」政治を実行するだろう。
以前のBlogでも述べたが、しばらく雇用環境は良くならないだろうから、その「バラマキ」政策が厳しい環境にうまくミートすれば、国民からは絶大な信頼を獲得するに違いない。
でも、問題は1年後に民主党がどういう施策に取り組むか、具体的には平成23年予算(平成22年補正予算も?)をどう編成するかでその手腕が問われることになるだろう。
諸外国、特にアジアとの関係強化を図りながら、国内で、環境、農業、エネルギー、社会的起業など、自立回復を果たす、国家戦略を確立できれば、その基盤はゆるぎないものになるに違いない。
K
4年前の自民党の大勝と全く逆の展開となり、オセロ・ゲームの白黒の駒がまるまるひっくり返ったような印象だ。
この民主党の大勝について、いろんな方がいろんなコメントをしているが、私は、ここ何年かの「小さな政府・タカ派」から「大きな政府・ハト派」へと大きな方向修正が図られた、と見るのが妥当であろうと考えている。
池田勇人、佐藤栄作、田中角栄らが確立した自民党の保守本流は典型的な「大きな政府・ハト派」であり、その流れを汲む民主党・小沢氏がこの路線を引き継ぐ一方、小泉前総理の構造改革路線を修正しきれない自民党は「小さな政府・タカ派」政党と受け取られて、国民にそっぽを向かれたということではないか。
小泉政権は、派閥政治の解消を通じ、自民党が良くも悪くも時間を掛けて築いてきた「富の再分配」を破壊してしまった。
前回の衆議院選挙はそれが有権者に好意的に受け止められたため、大勝したのだが、今回は昨年からの金融危機も手伝い、「富の再分配」システムがなくなることを国民はリスクと受け止めた。
そのために、派閥の領袖や閣僚経験者であるほど、有権者の受けは悪く、結果的に落選の憂き目にあうこととなった。
そして、以前だったら、完全な保守基盤(=自民党基盤)である都道府県は、ことごとく民主党に議席を奪われた。
少しつっこんで考えたい。
2000年になった頃、これまでの再分配システムが受益者よりも供給者が優先されて既得権益の温床となったことで、機能不全のシステムを解体すべく、構造改革・規制緩和といったマーケット・オリエンテッドな手法が支持され(=「新自由主義」と呼ばれる)、小泉政権を誕生させるきっかけになった。
ところが、そのパフォーマンスが低下していたとはいえ、多少なりとも機能していた再分配システムは、構造改革の旗印の下、その機能を完全に失ってしまう。
雇用面では、国内の雇用維持と労働者への柔軟な労働環境を提供することを名目として、製造業の派遣労働が解禁となった。
また、「ハコモノ」行政による、地方の建設業界への予算還流もなくなるとともに、「三位一体」の地方制度改革の下での地方交付金も事実上、削減される。
郵政民営化にしても業務拡大よりも業務効率化が目的だから、再分配機能は働きづらい。
民主党のマニュフェストからは、多少の不公平感も感じなくもないが、手段を変えて、国民一人ひとりに、直接、富が分配されるシステムを確立しようとしている。
再分配を渇望する国民には、魅力的な内容と映っているはずだ。
民主党政権は、様々な予算の無駄を排除するのはもちろん、場合によっては、国債も発行して、次の参議院選挙くらいまで、とにかく「バラマキ」を実施するだろう。
それによって、来年の参議院選挙の単独過半数獲得を狙うはず。
もし、参議院まで民主党に単独過半数を握られれば、自民党は党としての存在意義を失うかもしれない。
そうなれば、2大政党制なる大義名分は機能しなくなるが、そうなったらなったで政界再編などによって政治の世界は体裁を保つと思うのでそこはシリアスな問題にならないかもしれないが、問題は我々の生活のほうである。
再三、ここで述べているが、私は少子化対策よりも世代間雇用格差のほうがより喫緊の課題だと認識しているが、その課題にどう切り込むか、また、既に海外では議論されている、景気刺激策の「出口戦略」をどう取り組むか、そして、一連の対策により、膨らむ国の借金にどう取り組むのか、中期的な対処策が求められるに違いない。
繰り返すが、今回の圧勝により、民主党はこの1年くらいは、彼らのマニュフェストの実現に傾注し、本格的な「バラマキ」政治を実行するだろう。
以前のBlogでも述べたが、しばらく雇用環境は良くならないだろうから、その「バラマキ」政策が厳しい環境にうまくミートすれば、国民からは絶大な信頼を獲得するに違いない。
でも、問題は1年後に民主党がどういう施策に取り組むか、具体的には平成23年予算(平成22年補正予算も?)をどう編成するかでその手腕が問われることになるだろう。
諸外国、特にアジアとの関係強化を図りながら、国内で、環境、農業、エネルギー、社会的起業など、自立回復を果たす、国家戦略を確立できれば、その基盤はゆるぎないものになるに違いない。
K
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