2010年1月17日日曜日

相次ぐ政治スキャンダルで得をするのは誰か?

昨年末の鳩山首相が実の母親から多額の現金を受け取っていたことということに続き、以前よりくすぶっていた民主党・小沢幹事長の「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金の虚偽記載の問題が、ついに逮捕者を生む結果となった。

昨年の総選挙で政権を獲得し、予算の無駄やその背後にある政治とカネの問題に鋭くメスを切り込むことを期待された民主党にとって相当な痛手であろう。

いわずもがなであるが、事実を解明し、事件性があるものについては、法に則って裁かれるべきで、個々のスキャンダルは適正に対処されるべきである。

よって、当たり前のことであるが、政治的な立場を利用して、法を犯すことがなきよう、政治家自身は襟を正さねばならない。

これら一連のスキャンダルをみるにつけ、事態が深刻だと思うのは、我々の国のトップ、及びその出身政党が、政治を取り組むうえで、腰が据わらないまま、脆弱な状態が続くことが国民にとってHappyかどうかである。

選挙で選ばれて生まれた政権なのだから、理屈としては、その政権は国民の総意が反映されていることになるが、日本国民が選んだはずの政党、及びそのトップがスキャンダルやよくわからない理由で足元をすくわれたり、交代するという事態は、国民にとっても喜ばしいこととはいえないだろう。

そういった図式でみると、結局は、国民がダメージを受けているといえるかもしれない。

言い換えれば、これは国民と政治をつなぐ機能・システムへの打撃であり、政権が変わることで適切に時々の民意の変化を反映させるという、本来のメカニズムが達成できない、ということにつながりかねない。

小泉政権以降、毎年、首相が交代するような状況がつづき、その他もろもろの弱さを露呈した自民党が昨年の選挙で惨敗、期待されて誕生した鳩山政権も窮地に立たされている。

そんな一方的に不幸な環境にあると思えるなかで、得をしている人はいるのだろうか?

米・コンサルティング会社「Eurasia Group」が発表した、今年の10大リスクのなかで、「日本」を5番目に掲げていることを紹介している。

「The new Democratic Party of Japan’s (DPJ) efforts to limit the influence of bureaucrats and industrialists are creating higher policy risk, especially after upper house elections in the summer.」
(興味のある方は、英語の原文を参照)

それについて、1月5日の読売新聞は、下記のように紹介している。

「発表によると、「官僚と産業界の影響力を制限しようとする民主党の活動が、より高い政治的リスクを生み出している」と指摘。鳩山首相を「選挙だけでなく、効果的な意思決定にも長(た)けていない」と酷評し、「今年1年と続かない可能性がある」とした。また、「真の実力者である小沢民主党幹事長は閣外におり、正式の政策(決定)ラインからも隠れている」と、解説している。」

政治・官僚・財界の3つの関係は、いつも取り沙汰されていることではあるが、自民党時代に比べ、より政治指導色を強めようとしている民主党にとって、特に官僚との関係で利害が相反することが考えられる。

官僚制度にメスを入れようとした民主党政権に対して、決して前向きな反応を示さなかったであろうことは、想像に難くない。

さらにいえば、次々と政権が交代することで、自身の影響力はさらに強まるであろうことも容易に想像できる。

いわば、古株のお局さんのいる職場の上司が毎年変わるようなものだ。

日本の政治システムは、政策(What)という、最も本質的、かつ重要なことよりも、政策を実行に移す運用面(How)で問題を抱えているようだ。

運用側の思惑が優先され、常にスポットライトがあたり、矢面に立つのは政治家だから、本質的な課題もなかなか明らかにされない。

そういったなか、一国民として思うのは、どこのネタなのかわからないマスコミの報道に一喜一憂せず、冷静に成果となる政策を見極めて、選挙でその成果への評価を反映させることが重要なのだろう。

逆風が強まる鳩山政権ではあるが、未だ政治的な成果を生みだしたとは言い難い。

政治的成果を生みだすプロセスで世論として意見を反映させることも重要であるが、一度、選んだ政権なのだから、政治的成果が出るのを見届けるのも重要である。

一連のプロセスで政治家は襟を正さねばならないが、我々国民も運用面の課題を意識しつつ、政治と向き合うことが重要であろう。

みなさんは、どう思われるだろうか?

ご批判も含め、ご意見をいただければ幸いである。

K

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