2008年12月21日日曜日

Review of 2008

実は、今回のブログが今年最後の更新になりそうだ。

今週から早めの休暇をいただき、オーストラリアに行く予定なので次週の更新が難しそうだからだ。

貯まったマイレージと豪ドルに対する円高を利用した旅で、さぞ安上がりになるものと期待していたのだが、サーチャージという原油高騰の「置き土産」は重くのしかかった。。。

今回の旅行の様子は、また、改めてご紹介する予定したいと思う。


さて、今年を締めくくるにあたり、簡単に今年を振り返りながら、今の日本の現状を自分なりに考察してみることにする。

(為替~円高の影響)

今年に入って早々、日経新聞では「YEN漂流」という特集が組まれた。

記事のトーンとしては、円の価値が高まることによっておこる円高は歓迎せず、円安になることを歓迎するような日本の風潮は考え直すべき、という内容だったと記憶している。

本当にそうなのか?

その答えは今の状況が物語っているが、輸出型製造業が経済をけん引する、「日本型ビジネスモデル」にとっては円高への耐久力は、残念ながら、乏しいと判断せざるを得ない。そういった日本経済の「体質」の読み違えに加えて、当時、金利の安かった円でお金を借りて、金利の高い通貨で運用する「キャリートレード」のインパクトをUndervalueしていたとも言えるだろう。

金融危機をきっかけに、世界中の金融システムがマヒしてしまい、景気の後退期に入ったこともあるので、円高になったことだけが日本経済の不振を招いていると言えないとも思う。ただ、円高が企業活動のベネフィットになっているということは、ついぞ聞かれない。最近の日経新聞で、ホンダの2009年3月期下期営業赤字、トヨタの2009年期通期営業赤字が報じられているが、電機業界のこの年の瀬の業績不振を含めて考えても、為替インパクトがいかに大きいかが容易に想像できる。

改めていう必要もなかそうが、通貨の価値は様々な要因が絡み合って決まるものだから、通貨の価値をセオリー通りに語ったところで、説得力に乏しい。日経新聞は、毎日目にするのであえて苦言を申し上げたいと思うが、結論ありきで記事をまとめるのではなく、様々な現状・環境を踏まえた上で、丁寧に取材をしていただきたいと思う。彼らの情報収集力からすれば、時々のトレンドを読む力は、われわれ一般人よりはずっとすぐれているはずである。

話を戻すが、今回の一連の円高を通じてはっきりしたのは、日本は、依然、「輸出型製造業」のビジネスモデルを脱却しておらず、一部の例外を除いて円高をアドバンテージにできる構造になっていない、ということだろう。

(雇用)
また、非正規社員の問題が取りざたされている。突然の解雇に世界的な大企業は理不尽だ、とも受け取られるトーンが散見される。

だが、これは企業の責任なのか?

2004年の労働者派遣法改正により、「物の製造業務(製造業)」への派遣が解禁され、工場で派遣社員を雇うことができるようになった。一節によれば、国際競争力の低下を恐れた産業界からの強い要望で叶った法律らしいが、いずれにしても、その法律を立法化するのは政治的判断だ。よって、今回の「ハケン切り」とも言われる、行為の根本的な責任は政府にあると考えるべきだと思う。

もちろん、法的・道義的に対応が的確か否かというレベルの話はあるだろう。ただし、会社を存続させ、適正利益を出し続けなければならない企業にとっては、苦しい時に人件費を調整することで、もともと固定費である人件費を変動費に変えられる、労働者派遣法の改正は、大変、都合が良いだろうし、活用しない手はないだろう。

解雇される派遣社員の取扱は、派遣法の改正を承認した政府がきちんとケアする必要がある。それができないならば、もう一度、法律を再考する必要もあるだろう。だから、これは個別の企業が考えるべき課題ではなく、その法律を承認した政府が解決すべき課題なのだ。よって、矛先を間違えてはいけない。

(今の日本経済の主役の弱み)

為替と雇用の問題は結び付かないような気がしたが、接点を見出した。それは、輸出型製造業が経済の主役である、「日本型ビジネスモデル」の弱みである。

なぜ、輸出型製造業が経済の主役といえるか?

2005年2月以降経団連の会長にトヨタ自動車の奥田元会長、キャノン会長の御手洗社長が就任しているのは偶然ではないだろう。

(製造業の恩恵と方向転換)

輸出主導の製造業は極端に円高に弱い。他の通貨と比べ、通貨の価値が上がることは、本来、生活水準を上げる良いトリガーになるはずであるが、日本は、輸出主導型ビジネスの比率があまりにも高いために、主役の輸出型製造業の停滞は即座に企業の業績、ひいては、社員の給与や周囲の産業にネガティブ・インパクトをもたらす。

そもそも製造業は一定の雇用をもたらすので、国にとっても、地方にとっても良いことと受け止められる。○○デンキが、町や村に工場ひとつ作ってくれれば、何百人、規模によっては、何千人の一定規模の安定雇用を生み出す。一定の収入を得る人がコミュニティ単位で飛び出すから、それなりにコミュニティのなかで顔が見えることとなり、社会的にも「安定」するし、行政にとっては、税収も安定するので、大きなメリットだったわけである。

中国のWTO加盟などと前後して、グローバル化の本格的な開始され、製造プロセスが海を渡り、中国など低賃金の諸外国と競合することになった。今度は会社側が、「利益確保・追及」という目的で、製造拠点をアジアを中心に海外に設ける動きに出て、国内は空洞化した。経済界と政界がどのような話し合いをもったか詳細は知らないが、そういった国内の雇用減少を危惧した政界からの雇用増の要請に対して、経済界は「コスト削減」を錦の御旗に人件費減少の方策を要求し、先の労働者派遣法改正議論が出てのではないか。

結果、製造・生産活動の季節調整も行えるようになったはいいが、生産現場の労働者が派遣社員になったことで、雇用が流動化したために、「技術の継承」という理想的なモノづくり現場のスタイルもなくなり、一定期間が終われば次の現場に、とサイクル化し、コミュニティは崩壊し、安定感が失われていく。その負の側面の象徴的な出来事として、「無差別」殺傷の事件が出てくるものと思われるが、もし、人と人との関係が築かれたコミュニティのままであれば、あのような事件は起こらなかったのではないか。以前のコミュニティは、大金持ちにはなれないが、家族を養うレベルの収入はあり、世帯間・個々人との結びつきは保たれたものだったに違いない。最も成功した「社会主義」といわれる日本の社会・経済活動はこうやって所得の再配分と社会の安定をもたらしたわけだ。

(新しいビジネスモデルの模索に向けて)

米国の金融産業をベースとしたビジネスモデルが危機だと言われる。ただ、日本のビジネスモデルも危機的な状況であることに間違いはない。先に触れた為替の弱みは、日本の収入面でみれば、欧米の金融市場主義に支えられていたともいえる。ただ、その支えをなくしつつあるわけだから、これまで、コスト面(=雇用など)だけを気にしていれば良いのとは異なることに配慮しなければなくなる。以前、流行した「ザ・ゴール」という本のポイントではないが、国家レベルで収入とコストの「最適化」を図ることができる、新しい日本型ビジネスモデルを考えなければならない。アメリカがこの10年強で築き上げた金融至上主義の経済モデルでは、製造業と比べて雇用は生まれないだろうし、今回の金融危機で、同様のモデルを目指すのも難しくなったであろう。

課題はクリアになってきているが、それを解決できる人材がいるかということがもうひとつの課題である。日本には、50歳前後の、政治・経済をリードするだけの人材がどれだけ育っているのか、甚だ疑問である。来年以降徐々に、アメリカのオバマ大統領やイギリスの保守党キャメロン党首など、世界の政界は、おそらくフレッシュな顔ぶれになっていくものと予想される。一方、日本の政治はといえば、安部元首相の辞任で政界の若返りは遠のいたままだ。

このように日本には根の深い課題はあるが、一方で、それだけ、改革の余地も多いということ。来年は、革新的なビジネスモデルとそれを支える政治を築くことができる年になればと思う。自身もそれも念頭にこのブログを続けていければいいと思う。

K

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